尾礼島
おれしま
中世にみえる五島西浦部の地名で、折島に比定される。永和三年(一三七七)三月一七日の青方重譲状案(青方文書)に「おれしま」とみえ、重は譲与にあたって惣領の馬牧・牛牧のうち当島には毎年駒一疋を放牧するよう指示している。応永二九年(一四二二)当地などをめぐる平戸松浦氏と青方氏の間の紛争が松熊丸(宇久勝)ら一九人によって調停され、「宇野御厨庄下松浦五島西浦目之内
下・尾礼島両島」の得分は先日定めたとおりとし、牧ならびに木場・畑などは相持にすることとしている(同年五月一三日「江道機等連署押書状案」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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