木場(読み)コバ

デジタル大辞泉 「木場」の意味・読み・例文・類語

こ‐ば【木場】

切り出した木材を、一時集めておく山間の平地。木木場きこば馬場まば馬止まどめ。
山間の農作地。また、焼き畑。

きば【木場】[地名]

東京都江東区中部の地名。元禄年間(1688~1704)江戸幕府の許可で材木市場が開かれてから発展近年貯木場は南部の新木場に移転した。

き‐ば【木場】

材木の集積場。貯木場。また、材木市が開かれ、材木商の多い地域。

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精選版 日本国語大辞典 「木場」の意味・読み・例文・類語

き‐ば【木場】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 江戸時代、木材の需要の多い大都市に設けられた貯木場、およびその近くの材木屋街。江戸の深川、名古屋の堀川端、大坂の立売堀(いたちぼり)などが著名。
    1. [初出の実例]「蔵と名の付いた斗りの木場の蔵」(出典:俳諧・吾妻錦(1769))
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 東京都江東区中西部の地名。江戸時代、幕府の御用材を扱う材木問屋が集まり、材木屋街を形成。貯木場は、昭和四九年(一九七四)以降に区東南部、東京湾岸の新木場に移転した。
    2. [ 二 ] ( 江戸深川の木場に隠居したところから ) 四代目市川団十郎をいう。木場の親玉。木場の親父。
      1. [初出の実例]「三升どのと相手になってしているやうには思れぬ。やっぱり、きばとしているやうだ」(出典:洒落本・傾城買指南所(1778))

こ‐ば【木場・木庭】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 山から切り出した木を一時集めておく山間のわずかな平地。また、切り倒した材木を木造りする場所。
    1. [初出の実例]「二の馬ありしを、山のこばにつながせらる」(出典:天正本狂言・膏薬煉(室町末‐近世初))
  3. 山間の農作地。また、焼き畑。
  4. 山間の村。山間にある集落。〔日葡辞書(1603‐04)〕

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日本歴史地名大系 「木場」の解説

木場
きば

よこ(大横川)の河口に位置し、深川永代ふかがわえいたい浦とよばれ、元禄一〇年(一六九七)から江戸市中の塵芥をもって築立てられた地。

〔木場の成立〕

天正一八年(一五九〇)江戸入りした徳川家康は、江戸城の改修と江戸市街地の整備に着手し、慶長九年(一六〇四)必要な資材を調達するため、駿河・遠江・三河・尾張などから材木商人を呼寄せ、神田、日本橋・本八丁堀ほんはつちようぼり(現中央区)辺りに住まわせた。寛永一八年(一六四一)の大火を契機に、それまで大川(隅田川)西岸河口付近にあった材木置場佐賀さが町の東方続きに移転した。元禄一二年に同地が御用地として収公され、代地として深川築地つきじ(現平野・木場一帯)が与えられたが、干拓が進んでいなかったため、猿江さるえ(現大島・猿江)を代替地とした。この地もまた同一四年に御用地となったため再び深川築地へ移転し、一五名の材木問屋が築立てを行った。同一六年木場町の成立と同時に周辺の町も成立し(御府内備考)、以後約三〇〇年にわたり木材の集散地として機能する木場地域が誕生した。

〔問屋〕

延宝元年(一六七三)にはそれまで区別されていなかった問屋と仲買が分離した(御府内備考)。享保―延享期(一七一六―四八)頃には問屋も整備された。問屋には木場町を開発した一五人の材木商が結成した木場材木問屋のほか、板材木問屋熊野問屋川辺問屋がある。板材木問屋と熊野問屋は宝永年間(一七〇四―一一)に合併し、板材木熊野問屋となり(材木問屋旧記)、木場材木問屋とともに下り荷物を中心に扱っていた。

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改訂新版 世界大百科事典 「木場」の意味・わかりやすい解説

木場 (きば)

東京都江東区の地名。1878-1947年は深川区に属した。江戸時代より最近まで材木の貯木池や問屋が集中していた。江戸時代までは海岸沿いの土地であったが,明治以後,干潟の干拓が進み,沖合に塩浜,枝川,潮見,辰巳の埋立地が次々と完成し,さらにこれらの埋立地の南東側に夢の島,新木場,若洲などの埋立地もできた。とくに新木場埋立地の完成は古くからの木場にきわめて大きな影響を与え,1974-76年にかけて木場の貯木場の大部分が新木場に移転した。しかし一部の貯木池は残っており,材木問屋の店も少なくなく,隣接する富岡八幡宮や深川不動尊(永代寺)とともに,戦災を受けたとはいえ,伝統的な町並みが見られる。不用となった貯木池は埋め立てられ,アパートなどが建てられている。一時深刻であった地盤沈下は,最近はほとんどなくなった。
執筆者:

木場の起源は1641年(寛永18)1月の大火で,市中の武家屋敷が焼失し,材木の値段が高騰したため,各所に散在していた木置場(木場)を深川に集中したことにはじまるという。つまり深川木場は,火災の多かった江戸の木材消費をまかなうべく成立した。この深川材木町は99年(元禄12)に幕府御用地として没収され,かわりに本所猿江の地が与えられた。1701年には15人の材木問屋が深川の低湿地を埋め立て,築地町と総称する16町が開発された。すなわち深川東平野町,西平野町,亀久町,大和町,宮川町,入船町,島田町,島崎町,扇町,茂森町,吉永町,山本町,西永町,三好町,元加賀町,木場町である。その後も買請地や拝領地の増加により24町となり,大材木貯蔵地となった。木場には紀伊,尾張,三河,遠江などの集散地から海路で輸送された原木が集められ,必要に応じて角材や板にひかれた。大店では火災焼失後の再建準備のため,常に木場へ材木を確保していたという。元禄期(1688-1704)には幕府の建築事業が多かったため,御用材の調達を請け負う大商人が出現した。紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門は代表的商人である。とくに紀文は遊里での豪遊などで著名であった。また冬木屋は町名にも残る開発商人である。江戸における木場の移転の歴史は,江戸市街地の開発の歴史を象徴しているということができる。
執筆者:


木場 (きば)

木材の集散に便利な地点に設けられる貯木場。江戸時代には多く運材河川の河口付近,または海運によって各地の木材が集中する都市内に成立した。秋田杉の米代川〈能代(のしろ)〉,伊那榑(くれ)・遠州杉の天竜川〈掛塚〉,木曾ヒノキの木曾川〈桑名,熱田白鳥〉,熊野・北山杉の熊野川〈新宮〉などは前者の例,江戸の〈深川〉,大坂の〈立売堀(いたちぼり)〉,名古屋の〈堀川筋〉は後者の例であるが,大量の木材を収容する木場は,陸続きの海面または河川の水面をも貯木場に利用した。木材流通量の激増する近世の木場は貯木施設であったばかりでなく,木場の周辺地区では木材の商取引が行われたため,18世紀には江戸の深川のように,材木商の集住地域を含めた〈木場〉が各地に成立した。近世以前の木場では京都の堀川,木津川の木津,鎌倉の材木座などが知られる。また運材河川の中継基地などに設けられる小規模の木場は一般に土(渡)場(どば)と称し,木材生産地での木場(こば)は,丸太材を各種の用材に木造りする場所を指すことが多かった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木場」の意味・わかりやすい解説

木場(貯木場)
きば

川下の木材集散地に設けられた貯木場およびその周辺の材木問屋街の名称。古くから木材は河川を利用して運搬されてきたが、河川流域の上流部に良材産地をもつ河川の河口部、たとえば米代(よねしろ)川の能代(のしろ)、熊野(くまの)川の新宮(しんぐう)、吉野川の和歌山、木曽(きそ)川の桑名、天竜川の掛塚(かけつか)などに木場が設けられてきた。

 また、近世になり都市の発達をみるようになると、木材需要の増大を背景に、大消費地の近くの船輸送のできる河口部などにも木場が設けられるようになる。こうした木場での木材取引が盛んになるにつれ、木材業者が木場の周辺に定着し、材木屋の集合した地域も木場とよぶようになった。江戸の深川、尾張(おわり)の白鳥(しろとり)、大坂(おおさか)の立売堀(いたちぼり)などが代表的な木場である。

 全国的にも有名な江戸深川の木場は、元禄(げんろく)年間(1688~1704)に日本橋周辺で御用材を扱っていた木材問屋が幕府の命で深川に集められ、木材街を形成することによって生まれた木場である。明治期以降も大都市東京の木材集散地として発展を続け、集積の利益を求めた製材工場や合板工場などの集中開設も行われた。東京都の都市計画によって1972年(昭和47)から1974年に深川から夢の島の南部に木場の移転が行われ、現在の新木場が生まれた。移転以降は、外材を取り扱う問屋、製材工場が多くなり、国産材の集積、加工基地としての機能を後退させつつある。全国の木場は、どこも新木場と同様の状況をたどっている。

[安藤嘉友・山岸清隆]

『全国林業改良普及協会編・刊『森と木ときのこの日本地図』(1989)』


木場(東京都)
きば

東京都江東区(こうとうく)中央南部にある地区。17世紀後期に東京湾岸の浅い部分を埋め立て、1701年(元禄14)江戸幕府が材木問屋に払い下げて町屋を開いたのが始まり。縦横に堀割が通じ、その水路を木置場(きおきば)としたことが地名となった。東京地下鉄東西線が永代(えいたい)通りに通じ、木場駅がある。筏(いかだ)を操る川並(かわなみ)の姿は江戸情緒として明治以後も残り、1975年(昭和50)ごろまでは約500の材木問屋、製材所が集中した。しかし、地盤沈下による水面の上昇のための橋下の通行困難などで、14号埋立地(夢の島の南部、新木場)に移転したことにより、木場のかつての景観は変貌(へんぼう)した。木場の西側には富岡八幡(とみおかはちまん)、深川不動がある。この地に残る角乗(かくの)りは都の無形民俗文化財。

[沢田 清]

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百科事典マイペディア 「木場」の意味・わかりやすい解説

木場【きば】

東京都江東区木場,平野,冬木一帯。掘割や池が多く貯木に適していたため,元禄年間日本橋の材木問屋が木置場として以後問屋,製材所が集中,木場千軒といわれるほど繁栄した。角乗りの技術が伝わる。1970年代に地盤沈下等のため夢の島に南接する埋立地に新木場をつくり移転。
→関連項目木場(林業)深川

木場(林業)【きば】

木材の集散に便利な地に設けられる貯木場。おもに広い水面を利用する。陸上輸送が発達する以前は木曾川の熱田白鳥,熊野川の新宮,米代川の能代など多くは河口に設けられた。木材需要が急増する江戸初期以降は江戸の木場のように木材取引市場の性格が強いものも発達した。産地における集積地は〈こば〉〈どば〉と呼ばれる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木場」の意味・わかりやすい解説

木場
きば

東京都江東区中央部にある地区。元禄年間 (1688~1704) に江戸幕府の許可を得て,この地に材木市場が開かれたのが起りで,数多くの材木商が集中し,貯木場,製材所が独特の街区を形成していた。当時の風習を伝える「角乗り」「曲乗り」などの伝統技術,「木遣り」などの伝統芸能が残り,東京都無形民俗文化財に指定されている。近年地盤沈下や道路の渋滞で機能が低下し,貯木場は東京湾岸の埋立て地の新木場へ移転し,材木商や製材所の多くも新木場に移った。木場の跡地 (現木場4丁目,平野4丁目) には 1992年都立木場公園が開設された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「木場」の解説

木場
きば

貯木場のこと。江戸時代以前の木場では山城国木津川の木津,鎌倉の材木座などが有名。江戸時代に木材流通が盛んになり,日本各地に成立。出羽国能代(秋田杉),尾張国熱田の白鳥(しろとり)(木曾檜),紀伊国新宮(吉野北山杉),江戸深川,大坂の立売堀などがある。運送される河川の河口付近,海運による集散地,木材の消費都市にでき,材木問屋・仲買の商人が存在した。

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世界大百科事典(旧版)内の木場の言及

【木場】より

…木材の集散に便利な地点に設けられる貯木場。江戸時代には多く運材河川の河口付近,または海運によって各地の木材が集中する都市内に成立した。…

【木場】より

…木材の集散に便利な地点に設けられる貯木場。江戸時代には多く運材河川の河口付近,または海運によって各地の木材が集中する都市内に成立した。…

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