20世紀日本人名事典 「尾見薫」の解説 尾見 薫オミ カオル 明治・大正期の医師 満州医科大学教授;満鉄大連医院長。 生年明治7年8月20日(1874年) 没年昭和2(1927)年4月30日 出生地京都府宮津町 学歴〔年〕京都府立医学校〔明治30年〕卒 学位〔年〕医学博士〔明治42年〕 経歴明治36年台湾総督府医学専門学校講師となり、38年ドイツに留学し外科学・生理化学を研究、40年帰って教授を務める。のち南満州鉄道大連医院副院長となり、大正8年欧米に渡り医学教育を調査・研究。その後は、院長兼満州医科大学教授として在任したが、昭和2年没した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾見薫」の解説 尾見薫 おみ-かおる 1874-1927 明治-大正時代の外科学者。明治7年8月20日生まれ。ドイツ留学後,明治40年台湾総督府医専教授。のち満鉄大連医院長兼満州医大教授をつとめた。昭和2年4月死去。54歳。京都出身。京都府立医学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by