医学教育(読み)いがくきょういく

大学事典 「医学教育」の解説

医学教育
いがくきょういく

医学教育は,医療専門職の資格認定前の卒前教育と,資格認定後に行われる卒後教育,さらには医療専門職以外の人々に対する医学教育に分けることができる。また,近代医学と伝統医学では異なる教育形態をとることがある。医学教育の歴史は古く,紀元前から世界各地で多様な形で実施されてきた。大学医学部が一般の人々の診療に携わる医師たちの教育の主要な場となったのは19世紀後半以降であり,現在でも多種多様な場で医学教育が行われているが,ここでは,大学における医療専門職育成のための近代医学教育を中心に説明する。

[歴史―ヨーロッパを中心に]

中世大学での医学教育の基本は座学であり,ラテン語による医学書の講読,注釈,討論能力の育成に主力が注がれていた。卒後教育の主体となっていたのは医療専門職組合であり,都市によって大学医学部と一体化している場合と別組織の場合があった。18世紀,オランダライデン大学で医学教育に臨床実習が取り入れられたが12床に過ぎず,本格的な臨床医学教育が開始される契機は19世紀前半のフランス・パリ学派による医療改革にある。フランス革命時,大学医学部は解体され,ルイ王朝下の医療施設やカトリック教会の慈善施設が接収されて大病院に改組され,医学生の臨床教育の場となった。フランス革命の影響を受けたドイツ諸邦では中世大学の解体と近代大学の設立が行われたが,医学部に生理学,細菌学,衛生学等の基礎医学の教授職が生まれ,講義室と研究室,病院を中心にした医学教育が定着した。19世紀のアメリカ合衆国では水治療やトムソニアンなどの多種多様な民間医療学派による教育が行われていたが,1910年フレクスナー・レポートによって近代医学に基づく医学校の質の認定基準が示され,医学教育の標準化が進められた。

[日本の歴史と現状]

1857年(安政4),オランダ海軍軍医ポンペ(Pompe van Meerdervoort)によって,長崎でパリ学派以降の体系的な近代日本の医学教育が開始された。1877年(明治10)東京大学医学部の設立当初,医学部は予科・本科と通学科に分かれており,本科においてはドイツ人教師による講義と病院における臨床演示,日本人教員による実習指導からなるカリキュラムが組まれていた。明治新政府は積極的な海外留学制度をとり,医学部卒業生をドイツに派遣して最先端の医学を学ばせたが,彼らにより講座制に基づくドイツ流の医学教育が移植された。第2次世界大戦後,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による医療改革が行われ,医師の質の保証の面からフレクスナー・レポートをモデルとした医学教育の改革が求められた。この結果として,医師国家試験制度が改定され,受験資格は一定の規格に合致した医学校の卒業生に限定された。さらに,卒後教育としてインターン制度が導入されたが,激しい抵抗に遭い,東大紛争を契機に1968年(昭和43)廃止された。

 卒前教育のカリキュラムに関しては,2001年(平成13)に医学生が学ぶべきミニマム・エッセンシャルとしてのモデル・コア・カリキュラム文部科学省から示され,2007年,11年,16年に改訂が行われてきた。モデル・コア・カリキュラムは医師国家試験の出題と密接に関連しており,医学部医学科のカリキュラム編成に大きな影響力をもっている。6年間の卒前教育は基本的に一般教養,基礎医学,臨床医学から構成されるが,基礎・臨床の枠を超えた実践的な知と技能,さらには,それを支える人間性・社会性を育成するために,公衆衛生学等の社会医学や,医療倫理,医学史等を含んだ,分野の枠にとらわれない横断的・統合的なカリキュラムが1年次から組まれている。また,病院や高齢者施設等の臨床現場に送り込んでの早期体験実習,大学附属病院,市中病院等の各診療科を少人数で回るポリクリと通称される臨床実習など,直接,患者や医療従事者と接する実習が多く組まれているのが特色である。

 現在,急速に変動する社会の中で新たに生ずる多様なニーズに対応できる実践的臨床能力をもった医師の養成を目指して,卒前・卒後をシームレスにつなぐ医学教育が求められ,受け身的な座学から能動的な演習,さらには世界医学教育連盟(World Federation for Medical Education: WFME)の示すグローバルスタンダードに沿ったカリキュラムの設定,国際化へ向けての情報伝達能力の強化育成など,医学教育の変革がさらに進行中である。外科手技や問診技能等の臨床的な技術を試験する「客観的臨床能力試験(日本)(Objective Structured Clinical Examination: OSCE)」,モデル・コア・カリキュラムで示された知識の定着を確認する「共用試験(日本)(Computer Based Testing: CBT)」,学生が医療チームの一員として参加し診療業務の一部を分担する「診療参加型臨床実習(日本)(クリニカルクラークシップClinical Clerkship)」,卒後の新医師臨床研修制度の導入など,医学生自身が医師の指導のもとで主体的に参加する臨床実習教育へ向けての改革が急速に行われている。
著者: 月澤美代子

参考文献: Thomas Neville Bonner, Becoming a Physician, Medical Education in Great Britain, France, Germany, and the United States 1750-1945, Oxford University Press, 1995.

参考文献: 日本医学教育学会編『医学教育白書 2014年版』篠原出版新社,2014.

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改訂新版 世界大百科事典 「医学教育」の意味・わかりやすい解説

医学教育 (いがくきょういく)

大学設置審議会によれば,医学教育とは,確固たる倫理観に基づき,医学に関連した社会的使命を有効に遂行しうる人材を養成することを目的とするもので,とくに大学医学部においては,医師として最小限必要な知識・技術を体得させ,卒業直後といえども適当な指導者のもとで直接独立で診療を行うことができる程度の実力を付与するとともに,医学の研究に関する豊かな思考力と創造性を涵養(かんよう)し,つねに医学の進歩に即応しつつ,将来高度の知識・技術を有する医師または医学者となるための基礎を培うものとすると記されている(〈医学部設置基準の改善について〉1975年7月7日)。現在の日本における医学教育はこの基準にしたがっている。医学部に入学すると,多くの大学では医学進学課程として2年間,一般教育課目,外国語,保健体育および基礎教育課目(数学,自然科学など)の教育ののち専門課程に進むが,大学によっては,期間を短縮して専門科目を早期に実施している。これを一貫教育という。専門課程では,解剖学や生理学などの基礎医学,病理学,薬理学などの臨床基礎医学,それに臨床医学と社会医学などをそれぞれ一定の比率で,合計4200時間から4800時間の範囲で教育することが定められている。歴史的には,日本の医学教育は第2次大戦まではドイツ型であり,それ以降はアメリカ型になったといわれている。この場合のドイツ型とは,講義偏重,実習とくに臨床実習軽視,それに卒業後多くの医師が医学博士号の取得を目標にしたことで示されるように,医学者であることを医師のモデルにした,研究至上主義であり,ドイツのように,学生が大学を移動し講義を自由に選択するという制度は採用しなかった。戦後のアメリカ型とは,臨床実習を重視して,医師養成であることを明確にした方式であるが,教育病院がほとんど大学病院に限られ,多少の臨床教育の充実はあったが,やはり中心は講義におかれ,アメリカのように,臨床課程をほとんど病棟実習で行うまでにはいたっていない。なお,医学教育の歴史については〈医学〉の項目を参照されたい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「医学教育」の意味・わかりやすい解説

医学教育
いがくきょういく
medical education

医療に従事する者を養成することを目的とする専門教育,あるいは医学を衣食住と同列にある社会常識とみなし専門家,一般人に対して行なう教育。前者の場合,現代の文明諸国では伝統の古い医師,看護師のほか,各種の職能が分化し,いずれも原則的には公認された学校の卒業を前提とする国家資格を条件としているが,歴史的にはギルド,あるいは徒弟制度によって育成教育されてきた。後者の教育については,医学の専門家と一般人の間の交流および相互協力が重要な意義をもつ。

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