尾関 広
オゼキ ヒロシ
昭和期の登山家 元・全岳連会長。
- 生年
- 明治29(1896)年
- 没年
- 昭和50(1975)年9月9日
- 出生地
- 愛知県碧海郡依佐美村
- 学歴〔年〕
- 高小卒
- 経歴
- 横浜の輸出入運送業石川組に勤め、昭和5年横浜山岳会に入り、丹沢の尊仏小屋建設に尽力。戦時中、京浜山岳団体連合会、日本山岳連盟結成に努め、30年全日本山岳連盟を設立、副会長。36年日本山岳協会を設立し副会長。39年全岳連会長となり、指導員制度をつくり正しい登山の普及に尽力し、海外登山を推進した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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尾関広 おぜき-ひろし
1896-1975 昭和時代の登山家。
明治29年生まれ。運送会社につとめ,昭和5年横浜山岳会に入会。30年全日本山岳連盟を設立。35年日本山岳協会の設立にくわわり,副会長。39年全日本山岳連盟会長となり,指導員制度をつくり,海外登山を推進した。昭和50年9月9日死去。79歳。愛知県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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