20世紀日本人名事典 「山口光円」の解説 山口 光円ヤマグチ コウエン 大正・昭和期の僧侶,仏教学者 叡山学院名誉教授。 生年明治24(1891)年3月16日 没年昭和47(1972)年6月16日 出生地滋賀県 別名号=含山山人 学歴〔年〕天台宗西部大学卒,比叡山専修院卒 経歴明治32年金剛輪寺浜中光暢子により出家得度。大正9年天台宗西部大学教授となり、比叡山専修院、叡山学院各教授、専修院院長、叡山学院院長、同名誉教授。天台宗教学部長などを歴任。大谷大学講師、西山専門学校教授も務めた。昭和22年曼殊院門跡、42年天台宗勧学院院長。また天台学問所を設け、後進指導。著書に「天台浄土教史」「天台法華宗義集」「慈覚大師の浄土門」「法華経講話」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口光円」の解説 山口光円 やまぐち-こうえん 1891-1972 大正-昭和時代の僧,仏教学者。明治24年3月16日生まれ。母校天台宗西部大教授,比叡山(ひえいざん)専修院院長,叡山学院院長をつとめる。徳源院住職をへて昭和22年曼殊院(まんしゅいん)門跡(もんぜき),42年天台宗勧学院院長となった。昭和47年6月16日死去。81歳。滋賀県出身。号は含山山人。著作に「天台浄土教史」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by