20世紀日本人名事典 「山口喜三郎」の解説
山口 喜三郎
ヤマグチ キサブロウ
- 生年
- 明治7年1月30日(1874年)
- 没年
- 昭和22(1947)年8月16日
- 出生地
- 東京府芝(現・東京都港区)
- 学歴〔年〕
- 進修学舎〔明治23年〕卒,ジョンズ・ホプキンズ大学〔明治35年〕卒
- 経歴
- 明治23年伊勢の進修学舎(海軍機関学校の予備校)を卒業して古河鉱業本所熔銅所に入り、32年米国留学、帰国後本所熔銅所長。39年日光精銅所長、大正7年古河鉱業常務、9年古河電工を設立、同専務を兼ねた。不況下の積極経営を批判され東京電気に転じ、10年同副社長、昭和2年社長。“マツダランプ”を製造・販売し、“電球王”の異名をとる。12年芝浦製作所会長となり、14年同社を東京電気と合併させ東京芝浦電気(東芝)を設立、社長に就任。18年会長、21年辞任した。20年には精密機械統制会会長、軍需省顧問を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報