日本歴史地名大系 「山口縄文遺跡」の解説 山口縄文遺跡やまぐちじようもんいせき 愛媛県:越智郡朝倉村山口村山口縄文遺跡[現在地名]朝倉村山口木原池の西方祝谷の瓦山(かわらやま)で縄文後期の土器片が十数点出土、そのなかには早期の楕円押型文(約七千―八千年前)の土器一片も見いだされたが、多くは縄文後期の中頃(約三千年前)のものが多いようであった。いずれも表面採集されたものであるから遺跡の性格は未詳であるが、最も近い真東の海岸直線距離約四―五キロの沖浦(おきうら)(現今治市)にも同類土器の出土をみており、山を越えて南東約五キロの周桑(しゆうそう)平野への入口六軒家(ろつけんや)・実報寺(じつぽうじ)・椎(しい)ノ木(き)(現東予市)などにも縄文後期土器の出土をみているから、当時の交通往来の一拠点を示すものといえよう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報