日本歴史地名大系 「越智郡」の解説
越智郡
おちぐん
現越智郡の郡域は古来の
〔原始・古代〕
弓削島・生名島の先土器、大三島・伯方島の縄文、大島および陸地部の弥生や古墳など、原始・古代の遺跡は多い。
越智郡は「和名抄」にみえ、「乎知」と訓じる。「国造本紀」によると
越智氏による越智郡の建郡については、「日本霊異記」に越智郡越智直(「予章記」によれば守興とする)の説話がある。しかし原史料上の郡名の初見は、正倉院御物中の天平一八年(七四六)九月の年紀をもつ「伊予国越智郡石井郷戸主葛木部竜調六丈」という調布の記銘である。また天平八年の伊予国正税帳(正倉院文書)には「郡司 大領従八位上越智直広国 主政无位越智直東人」とあり、主政が置かれる中郡以上の郡は伊予では越智郡だけで、広国・東人らが越智郡の郡司に任じられていたことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報