山名氏幸(読み)やまな・うじゆき

朝日日本歴史人物事典 「山名氏幸」の解説

山名氏幸

生年生没年不詳
南北朝・室町時代武将伯耆守護。時義の次男,時煕の弟。氏之とも。康応1/元中6(1389)年5月,父時義の死により伯耆守護に補されたが,将軍足利義満は分国12国を誇る山名氏専恣を憎み,山名一族の氏清・満幸に時煕・氏幸兄弟を討たせた。伯耆は満幸の軍に蹂躙され氏幸は時煕と共に備後に逃げるが,ここも細川頼之軍が押さえており,やむなく上洛して義満に宥免を請うた。氏清が義満に反した明徳の乱(1391)では氏清・満幸討伐に功を立て,乱後の行賞で伯耆守護に還補,以後子孫は同国守護として戦国に至る。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山名氏幸」の解説

山名氏幸 やまな-うじゆき

?-? 南北朝-室町時代の武将。
山名師義(もろよし)の次男。惣領職(そうりょうしき)をめぐる内紛で叔父山名氏清,弟山名満幸と対立し,従兄弟山名時煕(ときひろ)にくみして敗れる。その後氏清らが明徳の乱(1391)をおこすと討伐軍にくわわり,乱後,伯耆(ほうき)守護に復帰した。名は氏之ともかく。通称は隠岐六郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山名氏幸の言及

【山名氏清】より

…南北朝時代の武将。時氏の第4子。丹波・和泉守護。時氏没後,兄の師義が家督を継ぐが,師義も死没して弟時義が惣領となる。1389年(元中6∥康応1)時義が没すると,将軍足利義満は俗に〈六分一衆〉と呼ばれるほど強大化した山名氏の内部分裂を画策し,氏清が生前の時義と不和であったのを利用して,まず氏清,満幸(氏清の女婿)に命じて時義の子時熙(ときひろ),氏幸を討たせ,時熙の分国但馬を氏清に与えるなどした。時熙らは備後に逃れた。…

※「山名氏幸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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