20世紀日本人名事典 「山岡重厚」の解説 山岡 重厚ヤマオカ シゲアツ 大正・昭和期の陸軍中将 生年明治15(1882)年11月17日 没年昭和29(1954)年3月27日 出生地高知県土佐郡旭村(現・高知市) 学歴〔年〕陸士卒,陸大卒 経歴山岡熊治の二男に生まれる。大正5年陸軍教育総監部課員、12年母校・陸軍大学校の兵学教官、のち陸軍士官学校生徒隊長、教育総監部第2課長、歩兵第1旅団長などを経て、昭和7年軍務局長となる。5・51事件による軍部独裁政権樹立の動きには時期尚早として反対した。9年整備局長、10年中将、第9師団長、11年予備役に編入となったが、12年召集で第109師団長、参謀本部付。20年4月から善通寺師管区司令官、四国軍管区付を務めた。遺著に「日本刀伝習録」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山岡重厚」の解説 山岡重厚 やまおか-しげあつ 1882-1954 大正-昭和時代前期の軍人。明治15年11月17日生まれ。母校陸軍大学校の教官,歩兵第一旅団長などをへて昭和7年軍務局長となる。五・一五事件による軍部独裁政権樹立の動きには反対した。10年中将,第九師団長。昭和29年3月27日死去。71歳。高知県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by