高級指揮官および高等司令部の幕僚を養成するため,陸軍将校に高等用兵に関する学術の修得,軍事研究に必要な学識を増進させるよう教育し,また高等用兵について研究を行う学校。旧日本陸軍では,西南戦争(1877)の経験により,指揮統率能力の向上と幕僚組織の充実を急務とし,1882年11月,陸軍大学校条例を制定,翌83年4月,参謀本部内(のち東京の青山に移転)に開校した。このときフランス参謀士官学校を卒業し,日本陸軍最初の正規の参謀科将校(参謀官)となった小坂千尋大尉が中心となって創設に参画し,ついで編制,動員,参謀服務などを担任して主として参謀養成を主眼とするフランス式教育を実施した。85年から94年までは,メッケル少佐ほか3名のドイツ軍参謀将校が,逐次交替で近代的な軍事学を教育し,とくに参謀旅行演習による実戦的な戦術を重視するドイツ式教育法に改め,参謀教育に大きく寄与した。教育課目は逐次整備され,戦術・戦史を主とし,そのほか参謀要務,一般教養,武技などがあった。学生は,全軍のなかから優秀な少壮の兵科将校を厳選して入校させた。第1期生は15名であるが,逐次増加し,50名をたてまえとした。この本科学生は,1945年までに約3000名が卒業し,陸軍将校のエリートとしての地位を占め活躍した。その修学期間は3年であったが,戦争間は逐次短縮された。1923年専攻科学生制度が新設され,毎年10名の佐官学生が,1年間,高等用兵に関する学術の深厚な研究を行ったが,32年10月中止された。しかし,翌33年には専科学生制度が設けられ,毎年,少佐,大尉学生80名を選抜し,1年間の速成教育を実施し,軍備拡張に伴う参謀要員の補充にこたえた。
近代国家では,いずれも陸軍大学校のような幕僚養成機関を設けているが,第2次大戦後は,陸・海・空統合幕僚の養成機関を設ける国が多い。たとえばアメリカやイギリスでは陸海空3軍の各士官学校を卒業した士官に対し,アメリカではNational Defense Universityで,イギリスではRoyal College of Defense StudiesやNational Defense Collegeで教育を行っている。旧ソ連には各種の大学があったが,1918年設立のVoennaya akademiya im.M.V.Frunze(フルンゼ記念陸軍大学)は各軍統合の教育機関で,ソ連軍の最高学府として知られた。なお,自衛隊では,旧軍の陸軍大学校,海軍大学校に相当するものとして陸・海・空幹部学校ならびに統合幕僚学校があり,さらに上級幹部養成機関として防衛研修所をおいている。
執筆者:森松 俊夫
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旧日本陸軍最高の教育研究機関。1883年(明治16)開校。各連隊士官中の優秀者を選抜して入学させ、これに3年間の幕僚・将帥教育を施すことをおもな目的とした。1923年(大正12)には専攻学生の制度を設けて少数の佐官を入学させ、33年(昭和8)には短期教育のための専科学生の制度が設けられている。卒業生は将校中のエリート層を形成し要職を独占したが、その教育が戦術・戦史教育に偏向していたこともあって、視野の狭い柔軟な思考を欠いた軍人が陸軍を指導する結果ともなった。卒業生は天保(てんぽう)銭型の徽章(きしょう)をつけていたため天保銭組とよばれる。36年には徽章廃止。
[吉田 裕]
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…軍人勅諭は以後軍の解体まで軍人を律する最高規範として位置づけられ,軍隊の天皇親率,政治不干与,命令絶対服従などの原則を明示した。西南戦争の経験に学んで78年12月にドイツから帰国した桂太郎の建議により参謀本部が設置され(本部長,山県有朋),軍人勅諭の原則に従って軍の統帥=軍令事項について大元帥=天皇を補佐する機関に発展し,82年にはその要員(参謀および高等司令官)の養成機関として参謀本部所管の陸軍大学校が設置された。俗に〈長の陸軍・薩の海軍〉と呼ばれたように,陸軍首脳は旧長州藩出身で占められ,山県有朋,桂太郎,寺内正毅,田中義一の順に実権が継承されてきたが,大学校の出身者でなければ軍中枢の要職につくことができなくなると藩閥の力は減退し,逆に士官学校,大学校の卒業成績の序列が大きな意味をもつ官僚機構に転化した。…
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