山本忠司(読み)ヤマモト タダシ

20世紀日本人名事典 「山本忠司」の解説

山本 忠司
ヤマモト タダシ

昭和・平成期の建築家,元・三段跳び選手 元・香川県職業訓練短期大学校校長。



生年
大正12(1923)年11月25日

没年
平成10(1998)年7月28日

出生地
香川県

学歴〔年〕
京都工業専門学校建築科(現・京都工繊大学)〔昭和23年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本建築学会賞作品賞〔昭和49年〕,都市計画学会賞石川賞〔昭和41年〕,香川県文化功労者〔平成2年〕

経歴
昭和23年香川県庁に入り、建築課長、土木部次長を歴任し、56年香川県職業訓練大学校初代校長に就任。60年山本忠司建築事務所を開設。主な作品に「瀬戸大橋記念館」「空海記念碑」などがある。また、27年のヘルシンキ五輪には三段跳びで出場した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本忠司」の解説

山本忠司 やまもと-ただし

1923-1998 昭和後期-平成時代の建築家。
大正12年11月25日生まれ。昭和23年香川県庁にはいり,56年県職業訓練大学校初代校長。60年山本忠司建築綜合研究室をひらく。50年瀬戸内海歴史民俗資料館で建築学会賞。作品はほかに瀬戸大橋架橋記念館など。ヘルシンキ五輪の三段跳び選手。平成10年7月28日死去。74歳。香川県出身。京都工専(現京都工芸繊維大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山本忠司」の解説

山本 忠司 (やまもと ただし)

生年月日:1923年11月25日
昭和時代;平成時代の建築家
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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