山田 兼松
ヤマダ カネマツ
昭和期のマラソン選手
- 生年
- 明治36(1903)年7月10日
- 没年
- 昭和52(1977)年8月27日
- 出生地
- 香川県坂出市
- 経歴
- 塩田に働きながらマラソンを練習、昭和3年アムステルダム五輪には津田晴一郎、永谷寿一と共にマラソンに出場、4位(2時間35分29秒)に入賞した。その後も「坂出走ろう会」をつくり後進の指導に尽力し、塩飽といった世界的選手を生み出すなど、日本のマラソン界に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山田兼松 やまだ-かねまつ
1903-1977 昭和時代のマラソン選手。
明治36年7月10日生まれ。塩田ではたらくかたわら練習にはげみ,昭和3年アムステルダム五輪で日本選手初の4位に入賞。塩田マラソンでそだった選手として注目される。引退後は後進の指導につとめた。昭和52年8月27日死去。74歳。香川県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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