山田匡得墓(読み)やまだきようとくのはか

日本歴史地名大系 「山田匡得墓」の解説

山田匡得墓
やまだきようとくのはか

[現在地名]日南市酒谷乙

酒谷(さかたに)神社の西の麓にある。山田匡得は伊東氏家臣山田宗続の子で、母は伊東義祐の叔母。天文一一年(一五四二)都於郡(とのこおり)(現西都市)に生れた。諱名は宗昌、はじめ二郎三郎、のち土佐守を名乗る(日向私史)。匡得は天正五年(一五七七)主家伊東氏の没落後も石(いし)城(現木城町)の籠城戦や豊後大友氏の家臣佐伯氏の客将として島津氏と戦い、その武功の数々は広く島津・大友家中にも知られていた(山田文書、「日向記」「日向纂記」「大友興廃記」)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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