朝日日本歴史人物事典 「松寿院」の解説
松寿院
生年:寛政9.3.18(1797.4.14)
幕末期種子島の政治を執った事実上の女島主。名は隣。薩摩藩主島津斉宣の娘。母は側室須賀。斉彬の叔母。出生前より女子ならば種子島家への縁談が約束され,生後3カ月で5歳の種子島久道に輿入れ。33歳で夫に死別。世嗣がいなかったため,その決定まで夫の名跡(跡目)を薩摩藩へ願い出て許可され,異母弟島津久珍が後嗣と決定するまでの13年間島の政治,祭事を行った。次いで久珍が若死にし,その子で1歳の久尚が島主となったが,事実上は松寿院が,69歳で世を去るまで合計25年間,政治を行い,大土木事業を完成させている。大浦川に潮入り防止土堤の築造,島の表玄関西之表港の波止め修築,大浦塩田の開発,拡張などである。その間,伴をひとり連れて島内を巡り,実地を見分したという。また学校を建て『大日本史』100巻を寄贈して教育を奨励,新式の六眼銃(旋条銃)を製造させている。日の丸の意匠は,松寿院が種子島の御用船に掲げた旗が始まりともいわれる。<参考文献>鮫島宗美『種子島家譜 普及版』,柳田桃太郎『種子島の人』
(柴桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報