山田千里(読み)ヤマダ チサト

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山田千里」の解説

山田 千里
ヤマダ チサト


職業
津軽三味線奏者

肩書
津軽三味線全国協議会会長

生年月日
昭和6年 10月10日

出生地
青森県 鯵ケ沢町

経歴
13歳から津軽三味線を弾き始め、昭和21年名手として知られた福士政勝の旅巡業に加わり演奏活動を始める。24年独立して津軽民謡団を率い、各地で演奏。“たたき”と呼ばれる、強く弦をはじく奏法を確立するなど、独特の演奏理論と卓越した技術で昭和40年代には初代高橋竹山などを追う新鋭として脚光を浴びた。弘前市に開業したライブハウス・山唄を拠点に活動し、51年オーストリア、ハンガリー演奏旅行を行ったのを皮切りに積極的に海外公演を重ね、ジャズなど他ジャンルとの交流にも挑戦。また津軽三味線全国大会の仕掛人として愛好者の拡大や若手育成にも尽くした。レコードに「津軽三味線・山田千里の世界」がある。

受賞
鯵ケ沢町100周年特別功労賞〔平成1年〕,NHK東北ふるさと賞〔平成5年〕,青森県褒賞〔平成11年〕

没年月日
平成16年 4月12日 (2004年)

家族
妻=福士 りつ(民謡歌手)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山田千里」の解説

山田 千里
ヤマダ チサト

昭和・平成期の津軽三味線奏者 津軽三味線全国協議会会長。



生年
昭和6(1931)年10月10日

没年
平成16(2004)年4月12日

出生地
青森県鯵ケ沢町

主な受賞名〔年〕
鯵ケ沢町100周年特別功労賞〔平成1年〕,NHK東北ふるさと賞〔平成5年〕,青森県褒賞〔平成11年〕

経歴
13歳から津軽三味線を弾き始め、昭和21年名手として知られた福士政勝の旅巡業に加わり演奏活動を始める。24年独立して津軽民謡団を率い、各地で演奏。“たたき”と呼ばれる、強く弦をはじく奏法を確立するなど、独特の演奏理論と卓越した技術で昭和40年代には初代高橋竹山などを追う新鋭として脚光を浴びた。弘前市に開業したライブハウス・山唄を拠点に活動し、51年オーストリア、ハンガリー演奏旅行を行ったのを皮切りに積極的に海外公演を重ね、ジャズなど他ジャンルとの交流にも挑戦。また津軽三味線全国大会の仕掛人として愛好者の拡大や若手育成にも尽くした。レコードに「津軽三味線・山田千里の世界」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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