市域は洪積台地である弘前台地と、台地から岩木川を越えて岩木山麓の北側地域を取り囲む形の地区とで構成される。市中心部の北西に飛地があり、
弘前の呼称は城下建設以後に付けられたもので、信枚君一代之自記(国立史料館蔵)によれば、弘前の名称が用いられたのは寛永五年(一六二八)八月二〇日からであるという。
市内に七七ヵ所余の考古遺跡が確認されており、そのほとんどが縄文遺跡で、多くは四つの地域に集中している。岩木山麓の北と東側地区では
文治五年(一一八九)の奥州合戦ののち、津軽の地にも鎌倉幕府の支配が及んだといわれ、建保七年(一二一九)には、平(曾我)広忠が平賀郡「岩楯村」(現南津軽郡平賀町岩館)の地頭代に任命され(「北条義時下文」新渡戸文書)、こののち代々曾我氏が地頭代を勤めて、平賀郡は曾我氏の支配下にあったと考えられる。
一方、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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