山田館跡(読み)やまだたちあと

日本歴史地名大系 「山田館跡」の解説

山田館跡
やまだたちあと

[現在地名]能都町瑞穂

山田川中流左岸の丘陵部、通称館山たちやま付近に比定される室町後期の山田秀次の居館跡。東側の通称城山しろやまは秀次の城砦跡といわれ、山田城・院内いんない城とよばれる。山田氏は大屋おおや(現輪島市)地頭長信連(長谷部信連)六男の末裔とされ、長氏系図(長文書)には六男某は「大屋庄山田之地頭」とみえる。戦国後期に藤並ふじなみ付近を領した山田四郎三郎(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)、弘治年間(一五五五―五八)温井・三宅一党の能登侵攻に伴う内乱で籠城中の七尾城から欠落した山田左近助(「畠山義綱判物写」重蔵神社文書)などの名が知られ、永禄四年(一五六一)正月畠山義綱が長続連の七尾私亭に出向いた際の饗宴の席に、「御家之子」として山田十郎兵衛の名がみえる(「長伝書」長文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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