山直城跡
やまなおじようあと
多賀山地東麓丘陵上の新館を中心とする地にあった。山野尾城・山尾城・友部城、また初めは串形城・櫛形城とも記された。「新編常陸国誌」に「本丸東西約三十七間、南北三十四間、二丸東西十九間、南北二十間、三丸東西七十間、南北百十四間許、前ニ峻坂アリ、後ニ懸崖アリ」とある。
「水府志料」によると、長治元年(一一〇四)矢田部氏(のち山直氏)が築城し、乾元―嘉元(一三〇二―〇六)頃宍戸家時が移り住んだが、貞和四年(一三四八)には小野崎通胤が小野崎城(現常陸太田市)より移り住んで山尾城と称した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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