日本歴史地名大系 「多賀郡」の解説
多賀郡
たがぐん
県北東部に位置し、東は太平洋。古代以来の郡域から、南に日立市、北に高萩市、その北に北茨城市が成立して分離し、現郡域は十王町のみである。古代は
旧郡域の西側は阿武隈高地南端部の多賀山地丘陵の東側斜面にあたり、北から南へ標高六〇〇―八〇〇メートル級の
〔原始〕
現十王町地域では、先土器遺跡は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
県北東部に位置し、東は太平洋。古代以来の郡域から、南に日立市、北に高萩市、その北に北茨城市が成立して分離し、現郡域は十王町のみである。古代は
旧郡域の西側は阿武隈高地南端部の多賀山地丘陵の東側斜面にあたり、北から南へ標高六〇〇―八〇〇メートル級の
現十王町地域では、先土器遺跡は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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