多賀郡(読み)たがぐん

日本歴史地名大系 「多賀郡」の解説

多賀郡
たがぐん

面積:七二・一七平方キロ
十王じゆうおう

県北東部に位置し、東は太平洋。古代以来の郡域から、南に日立市、北に高萩市、その北に北茨城市が成立して分離し、現郡域は十王町のみである。古代は多珂たか郡と書き、中世は多珂・多賀を併用、近世以降は多賀郡と記す。

旧郡域の西側は阿武隈高地南端部の多賀山地丘陵の東側斜面にあたり、北から南へ標高六〇〇―八〇〇メートル級の和尚おしよう山・花園はなぞの山・竪破たつわれ山・神峰かみね山・高鈴たかすず山などが並び立つ。東側は海岸線に沿って低地海岸段丘が南北に細長く連なり、西側丘陵に発する花園川・大北おおきた川・関根せきね川・花貫はなぬき川などがほぼ東流して海に注ぐが、いずれも大河ではない。福島県に発する久慈川は久慈郡を南流し、日立市と那珂郡東海村の境を東流して日立港に達する。海岸線はおおむね平滑で、それに沿って国道六号(岩城相馬街道)と国鉄常磐線が南北に走る。

〔原始〕

現十王町地域では、先土器遺跡は上台うわだい遺跡・陣屋じんや遺跡の二ヵ所が確認され、縄文遺跡は十数ヵ所を数える。弥生遺跡は六ヵ所発見されているが、このうち十王台じゆうおうだい遺跡は十王台式土器の標準遺跡である。古墳藻島台めしまだい古墳群・長者山ちようじややま古墳群・十王台古墳群・権現塚ごんげんづか古墳群・原の坊はらのぼう古墳群などに前方後円墳一・円墳七〇を数え、加幸沢かこうざわ横穴群には横穴墓四七を数える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報