山科庄(読み)やましなのしよう

日本歴史地名大系 「山科庄」の解説

山科庄
やましなのしよう

後白河院領とされ、のち丹後局高階栄子に伝領された「山科小野庄」(建久三年「後白河院庁下文案」大徳寺文書)と同一の荘園と考えられる。

山科庄の名は南北朝期に、それまで山科家が領家的立場を有していた山科小野庄の一部に、醍醐寺三宝だいごじさんぼう(現伏見区)地頭職を得た以後と思われ、観応二年(一三五一)の山城国山科庄券文案(醍醐寺文書)などに早い記述がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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