日本歴史地名大系 「山科小野庄」の解説
山科小野庄
やましなおののしよう
山科盆地中南部、後の
山科小野庄は、後白河上皇が仁安二年(一一六七)に山科大宅の地に山科新御所を造営、この御所の周辺が荘園化されたものであろう(→山科新御所跡)。建久三年(一一九二)三月の後白河院庁下文案(大徳寺文書)に
と記され、この時には高階栄子(丹後局)に譲られて、「歳月已尚」かったことが確認されている。ただし山科小野庄は建保四年(一二一六)八月の後鳥羽院庁下文案(大徳寺文書)に比丘尼顕蓮領として名がみえ、冷泉教成領である播磨国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報