醍醐寺文書(読み)だいごじもんじょ

改訂新版 世界大百科事典 「醍醐寺文書」の意味・わかりやすい解説

醍醐寺文書 (だいごじもんじょ)

真言宗醍醐派総本山醍醐寺に伝来する古文書。同寺の霊宝館に保管されている。醍醐寺には膨大な古文書聖教が伝えられているが,その歴史学的な調査は明治末年から始まり,1920年ころに山内の諸所に伝わっていたものを一ヵ所に集めて保存をはかり,調査を進めることになった。同寺は新しく収蔵庫を建てたが,それは文化財の保管庫としては画期的なもので,以後諸方面に大きな影響を与えた。当初収蔵庫は2棟であったが,絵画や貴重な典籍・書跡が北倉に,上醍醐の経蔵にあった重源(ちようげん奉納の宋版一切経6096帖と古文書・聖教約800函が南倉に収められた。古文書・聖教の調査は,1984年現在約500函について目録の作成を終わっている。上記南倉の古文書・聖教は,東京大学史料編纂所編《大日本古文書》の中に,〈家わけ文書19〉が《醍醐寺文書》として刊行が継続している。また《醍醐寺文書別集》として,〈満済准后日記〉の裏文書の刊行が進行中である。

 古文書・聖教800函という分量は膨大であるが,その中には経論とその注疏密教儀軌作法・次第,図像集などが多量に含まれており,古文書がすべてではない。東寺や東大寺の古文書が,大寺院の中枢にかかわる文書を保管して現代に至ったのに比して,現存する醍醐寺の古文書は数々の院家の私的な文書が半ば偶然に残ったという性格のものが多く,膨大な量ではあるが醍醐寺の機構や経済的な基盤を明らかにする上では,必ずしも十分ではない。しかし,鎌倉時代以降の院家について,さまざまな面を伝えている点ではきわめて重要なものである。また,北倉に収められているものには,空海の〈狸毛筆奉献表〉,聖宝(しようぼう)の〈醍醐・成願両寺処分状〉〈東南院主房起請〉,後宇多天皇の〈当流紹隆教誡〉,後醍醐天皇の〈天長印信〉などがある。
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百科事典マイペディア 「醍醐寺文書」の意味・わかりやすい解説

醍醐寺文書【だいごじもんじょ】

京都市伏見区の真言宗醍醐派総本山醍醐寺に伝えられた文書群。聖教・古文書をあわせ約800函・約10万点を数える。整理・調査は1910年に着手され,新たに建造された収蔵庫に納められた。古文書は,三宝(さんぼう)院をはじめとする門跡・院家に伝来したものと,篠村(しのむら)八幡宮・高倉天神別当職関係のものなどからなり,座主・諸行事・寺領など醍醐寺本寺の寺務・経済に関わるもの,諸院家の院主職相承・所領支配等に関わるものなどがある。整理・調査は継続されており,〈大日本古文書〉の《醍醐寺文書》として刊行されている。現在醍醐寺の北倉に絵画・書跡・典籍類,南倉に聖教・古文書類が納められている。
→関連項目奉加帳

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「醍醐寺文書」の意味・わかりやすい解説

醍醐寺文書
だいごじもんじょ

京都の醍醐寺に伝来した数百函の古文書・聖教類の総称。本来は三宝院(さんぼういん)、報恩院(ほうおんいん)など各院家に別々に伝来したものであるが、近世・近代における院家の統合廃亡によって、現在は一括して同寺霊宝館に所蔵されている。多くの中世文書群が、権利の証明を中心とした領有や収納などの史料が中心であるのに対し、私的な書状や宗教関係の文書が多い点に特徴がある。『大日本古文書 醍醐寺文書』として10冊が刊行され、なお継続中である。

[笠松宏至]

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