無土器(先土器)時代遺跡の発見はまだないが、縄文時代から古墳時代にまで続く複合遺跡である
山科川をはじめ各河川は、流域面積は狭いが農業用水として利用され、水田農業が展開したであろうことは、中臣遺跡の竪穴式住居がよく物語っている。古墳時代の遺跡は後期古墳がいくつか存在し、同時代の窯跡も知られる。
山科区は
歴史時代の山科区は中臣氏から始まる。早くから中臣氏が住み、中臣鎌子(藤原鎌足)は当地の出身で、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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