岡下村(読み)おかしたむら

日本歴史地名大系 「岡下村」の解説

岡下村
おかしたむら

[現在地名]岡部町岡・岡里おかざと

櫛挽くしびき台地と利根川沖積低地の漸移地帯に位置し、東は普済寺ふさいじ村、西は岡村。村の南端を中山道が通り、一里塚が築かれていた(分間延絵図)。「風土記稿」によると、名主金右衛門の先祖四郎右衛門が天正年間(一五七三―九二)に当地を開発したという。もと岡ノ下とも称され、台地下に開けた村の由来をよく伝えている。元禄(一六八八―一七〇四)以前に岡村から分村したとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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