日本歴史地名大系 「岡部町」の解説 岡部町おかべまち 埼玉県:大里郡岡部町面積:三〇・五七平方キロ明治二九年(一八九六)成立時の大里郡北西部、櫛挽(くしびき)台地上に位置し、現在東は深谷市、西は児玉郡美里(みさと)町、南は寄居(よりい)町、北は本庄市と接する。北縁を小山(こやま)川が東流し、榛沢(はんざわ)新田で藤治(とうじ)川を合せて北流する志戸(しど)川が西田(にしだ)地先で小山川に合流する。南西部には松久(まつひさ)丘陵北端の残丘にあたる山崎(やまざき)山(一一六・七メートル)・諏訪(すわ)山(一一八メートル)が連なる。町の北寄りを旧中山道・国道一七号および国道一七号深谷バイパスが走り、その南側をJR高崎線が通る。また中央部をJR上越新幹線、南西端をかすめて関越自動車道が通る。標高は岡(おか)の町役場付近で五八・五メートル。気候は内陸性を示し、比較的穏やかである。針(はり)ヶ谷(や)の西谷(にしや)遺跡は、縄文時代草創期・早期・中期・後期にまたがる複合集落遺跡である。中期の集落跡はかなり多く、普済寺(ふさいじ)の菅原(すがわら)遺跡は大集落を営んだ形跡がみられるほか、山崎の丸山(まるやま)遺跡をはじめ本郷(ほんごう)・沓掛(くつかけ)・山河(やまがわ)・今泉(いまいずみ)など各地に分布する。岡の四十坂(おかのしじゆうざか)遺跡は弥生時代中期の再葬墓群。四十数基に及ぶ古墳は本郷の坂上(さかうえ)古墳(前方後円墳)を除いてほとんどが古墳時代後期に属し、岡の寅稲荷(とらいなり)古墳・お手長山(てながやま)古墳が前方後円墳、普済寺の愛宕山(あたごやま)古墳が方墳のほかは円墳が占める。今泉の狢山(むじなやま)遺跡は古墳期の祭祀遺跡で、土製の人形・馬・鏡や坩鼎土器などが多数出土。 岡部町おかべちよう 静岡県:志太郡岡部町面積:五三・二九平方キロ大井川が形成した志太平野の北部に位置する。町の北側は南アルプスから延びる山稜が占め、この山稜が低くなった静岡市との境に宇津ノ谷(うつのや)峠がある。南は標高五〇一・四メートルの高草(たかくさ)山を境に焼津市、西は藤枝市と接する。町域は北部の山岳地から流れる朝比奈(あさひな)川と宇津ノ谷峠付近から流れる岡部川の流域に分けられ、二つの川の合流した内谷(うつたに)付近が岡部の中心地となっている。国道一号が藤枝市から当町域に入り北上、新宇津ノ谷トンネルを通り静岡市へ抜ける。朝比奈川上流部の河岸段丘上には縄文時代の遺跡が分布している。最上流部には小丹原(こたんばら)遺跡(宮島)があり、縄文中期の土器と石斧・黒曜石製石鏃などが出土している。やや下流の野田沢(のたざわ)川との合流地点付近の段丘上に御月山(おつきやま)遺跡・西ノ平(にしのだいら)遺跡(殿)がある。西ノ平遺跡からは縄文前期―中期の土器片と磨製石斧・打製石斧・石錘・石鏃などが出土し、弥生土器片も一片だけ出土している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by