岩広村(読み)いわひろむら

日本歴史地名大系 「岩広村」の解説

岩広村
いわひろむら

[現在地名]新城市富沢とみざわ

設楽したら村の東南にあり、一部伊那街道に沿う。慶長八年(一六〇三)から旗本松平加賀右衛門家の所領となったが、同家が寛永一五年(一六三八)四六六石から三〇〇石に減知された際に大部分は新城藩領となり、相給になった。幕末の新城藩領は二一六石余、松平家領は一七石余である。新城藩領分の戸数は、安政七年(一八六〇)の火消人数定(新城町誌)によると一九である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報