岩田 英子(読み)イワタ エイコ

20世紀日本人名事典 「岩田 英子」の解説

岩田 英子
イワタ エイコ

明治〜昭和期の教育家 大分県教育会評議員。



生年
明治6年5月5日(1873年)

没年
昭和7(1932)年9月22日

出生地
大分県大分町中上市町(現・大分市)

本名
岩田 エイ

旧姓(旧名)
渡辺

学歴〔年〕
東京裁縫女学校〔明治33年〕卒

経歴
大分高等小学校に在学中、旧大分中学校の英語教師ウエンライトから英語の手ほどきを受ける。明治21年に同校を卒業後、大分小学校簡易科で教師を務めるが、間もなく退職し、漢学生け花を学んだ。のち結婚して家庭の人となるが、28年に夫と死別。32年に上京して東京裁縫女学校に入学、33年卒業とともに帰郷し、大分裁縫伝習所を開いた。34年には同所を大分裁縫学校に改称し、自身も裁縫科中等教員免許を取得。次いで39年には予科・本科・高等科・専修科を設置した。同校は42年に岩田女学校、44年には岩田実科高等女学校となるなど着実に発展を遂げ、現在の岩田高校の基礎が固まった。大正9年大分県教育会評議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報