(1)国学に対する称。江戸末・明治初期、欧米の学術を洋学と総称した当時、在来の学術を国学、漢学、または皇漢(こうかん)学(いまの日本漢学)と並称した。詩文や辞章を考えるときは漢文学といい、奈良・平安期以来の中国文化に由来する本邦の漢文による学芸を広く漢学と称する。本邦歴代の漢字語による中国古典文を模倣した詩文の制作を対象とする文芸の流れは、漢文学史を形成している。のち欧米のシノロジーsinology(中国学、シナ学)をも漢学と訳称した。
(2)中国では、宋学(そうがく)に対する称。漢代の学問、学風を意味し、とくに後漢(ごかん)、魏晋(ぎしん)の経学の態度をさす。中国近世の新儒学として、程朱(ていしゅ)学、陽明学が宋・元・明(みん)の性理学を代表したのに対して、清(しん)代におこった考証学によって、復古的に唱道された学術の方法である。顧炎武(こえんぶ)、閻若璩(えんじゃくきょ)、胡渭(こい)らがその先駆的業績をあげ、呉(ご)派の恵棟(けいとう)、江声(こうせい)らによって、経書本来の精神は、漢儒の経学によって解明できる、とする自覚が高まり、皖(かん)派の戴震(たいしん)、段玉裁(だんぎょくさい)、王念孫(おうねんそん)らによって高度の学術成果を発揮した。その学問は、『十三経注疏(じゅうさんぎょうちゅうそ)』を主材として、史書、諸子(先秦(しん)の思想家)の文献にも及び、漢~唐の訓詁(くんこ)を重んじ、校勘(こうかん)、考証を盛り込んだノート(札記(さっき))と研究者間の書信による交流を積み重ねて、許(きょ)学と鄭(てい)学、つまり許慎の『説文(せつもん)解字』を基礎とする古代言語学と「三礼(さんらい)」を軸とする鄭玄(じょうげん)の経書解釈学の、復活とその応用を究めた。旧中国の実事求是(じつじきゅうぜ)の学、すなわち類推と帰納の蓄積による実証的な真理探究の学問は、この清代漢学の方法によって代表された。
[戸川芳郎]
中国の学術,宋学に対する称。漢代の学問,学風を意味し,とくに後漢・魏晋の経(けい)学(経書解釈学)の態度をさす。中国近世の儒学として程朱学,陽明学が,宋・元・明の性理の学を代表したのに対し,清代におこった考証学によって,復古的に唱道された学術の方法である。顧炎武,閻若璩(えんじやくきよ),胡渭らが先駆的業績をあげ,呉派の恵棟,江声らによって経書ほんらいの精神は漢儒の経学によって追究しうる,とする自覚が高まり,皖(かん)派の戴震,段玉裁,王念孫らによって高度の学術成果を発揮した。その学問の特色は,《十三経注疏》を主材として史書や諸子の文献にも及び,漢・唐の時代の訓詁(くんこ)を重んじ,校勘・考証の札記(ノート)と研究者間の書信による交流を積みかさねて,許学(許慎の古代文字学)・鄭(てい)学(鄭玄(じようげん)の経書注釈)の復活と応用をきわめようとした。旧中国におけるいわゆる実事求是の学,つまり類推と帰納の実証的方法による真理探究の学術は,この清朝漢学により代表される。
また日本での国学に対する中国の学術の総称としても〈漢学〉の語が用いられる。江戸末・明治初期,欧米の学術を洋学と称した当時,在来の学問を国学,漢学あるいは皇漢学と称した。その文芸・辞章を意識するときは漢文学(漢詩文)といい,奈良・平安期以来の中国文化に由来する日本の学術や漢文による学芸をひろく漢学と称する。日本歴代の漢文(中国古典文)の模倣による詩文の制作は,一つの文芸の流れを形成し,その漢詩文を対象とする漢文学史が成立する。明治期以後,欧米のシノロジー(中国学)をも漢学と訳称している。東京大学に和漢文学科から分かれて漢学科がおかれ(1889-1904),明治末その関係者による《漢学》誌が刊行されているが,第2次大戦前,京都大学の支那学に対して,東京を中心とする政教協同の国粋的な色彩をもつ漢学者が現れた。
執筆者:戸川 芳郎
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その学問の特色は,《十三経注疏》を主材として史書や諸子の文献にも及び,漢・唐の時代の訓詁(くんこ)を重んじ,校勘・考証の札記(ノート)と研究者間の書信による交流を積みかさねて,許学(許慎の古代文字学)・鄭(てい)学(鄭玄(じようげん)の経書注釈)の復活と応用をきわめようとした。旧中国におけるいわゆる実事求是の学,つまり類推と帰納の実証的方法による真理探究の学術は,この清朝漢学により代表される。 また日本での国学に対する中国の学術の総称としても〈漢学〉の語が用いられる。…
…中国,清代の学界の主流をなした学問の方法。漢代の古典研究を尊重したことから漢学ともいう。宋代の思弁哲学である朱子学や,明代の観念論哲学である陽明学とはおよそ対照的に,広く資料を収集し,厳密な証拠にもとづいて実証的に学問を研究しようとするもので,〈実事求是〉がその信条であった。…
…中国学という呼称は,従来は支那学とよばれてきて,今もその名称が使われることもあり,元来は西洋とくにフランスで18世紀に起こったシノロジーsinologieの訳語であった。この学風の実質は,中国本土においても存在し,これを国学あるいは漢学と称したが,20世紀に入って日本の京都で栄えた中国に関する学派が,狩野直喜(かのなおき),内藤湖南を中心に哲学,文学,史学の研究者,学生を網羅した支那学会という学会をつくり,その分派として雑誌《支那学》を編集発行する同人の集りを支那学社と称したのは,西洋のシノロジーを意識してのことであった。第2次世界大戦後,京都の支那学会が休眠状態に陥る一方,全国的規模で新たに組織され,年刊の《日本中国学会報》を発行している日本中国学会は,主として中国哲学,中国文学の研究者によってのみ構成されており,中国史学の研究者はこの学会に加わらず,東洋史の主要メンバーとして日本史や西洋史の研究者とともにいくつかの歴史学会としてのまとまりを呈し活動している。…
…《古事記伝》は,《古事記》の文法的解釈にとどまらず,歴史,著述事情,文体などあらゆる角度から言語に密着して古道を説くものである。そして,《古事記伝》の方法は,中国の経学(けいがく),特に清朝の考証学または漢学と呼ばれる学問と共通する。漢学は,宋代の朱熹(子)らの経書解釈がみずからの思想によって演繹的に説明するのに反対し,経書の言語そのものに密着して,漢代の注釈や漢以前の文献の言語を参考にして帰納的に解釈したり,批判したりするものであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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