岸岡村(読み)きしおかむら

日本歴史地名大系 「岸岡村」の解説

岸岡村
きしおかむら

[現在地名]鈴鹿市岸岡町

金沢かなさい川の支流田古知たこち川の南岸、岸岡山(四五・三メートル)丘陵の北麓に位置し、海岸に近い。鬼神岡きしおかとも書き、「勢州軍記」弘治三年(一五五七)の条に「鬼神岡城主佐藤中務丞」とある。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳に「四百貫文 河曲郡鬼神岡相違 御扶持不申候也 長崎弥左衛門」とあり、神戸信孝没後、一時信雄の支配地であったことがわかる。慶安郷帳(明大刑博蔵)に記される八一三・四石の村高は、亀山藩領六九〇・四石と旗本保田甚兵衛領一二三石との相給で、保田氏の断絶後の享保一一年(一七二六)からは有馬氏がこれに代わり明治維新に及んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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