正徳(読み)ショウトク

デジタル大辞泉 「正徳」の意味・読み・例文・類語

しょうとく〔シヤウトク〕【正徳】

江戸中期、中御門なかみかど天皇の時の年号。1711年4月25日~1716年6月22日。

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精選版 日本国語大辞典 「正徳」の意味・読み・例文・類語

しょうとくシャウトク【正徳】

  1. 中御門天皇の代の年号。宝永八年(一七一一)四月二五日に改元、正徳六年(一七一六)六月二二日享保元年となる。将軍は六代徳川家宣。出典は「尚書」の「正徳利用、厚生性和」。

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日本の元号がわかる事典 「正徳」の解説

しょうとく【正徳】

日本の元号(年号)。江戸時代の1711年から1716年まで、中御門(かなみかど)天皇の代の元号。前元号は宝永(ほうえい)。次元号は享保(きょうほう)。1711年(宝永8)4月25日改元。中御門天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『尚書(しょうしょ)』を出典とする命名。正徳年間の江戸幕府の将軍は徳川家宣(いえのぶ)(6代)、徳川家継(いえつぐ)(7代)。正徳の元号は、朝廷が幕府に提示した案の中から新井白石(はくせき)が選択したといわれる。中御門天皇は、1709年(宝永6)に父東山(ひがしやま)天皇の譲位を受け、9歳で即位した。前代に引き続き、祖父の霊元(れいげん)上皇による院政が行われた。同年に将軍に就任した徳川家宣は新井白石を登用し、間部詮房(まなべあきふさ)を側用人(そばようにん)として政治を行った。家宣は1712年(正徳2)に死去し、四男の家継が翌年、将軍職を引き継いだ。新井白石の文治政治は「正徳の治」と呼ばれている。

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普及版 字通 「正徳」の読み・字形・画数・意味

【正徳】せいとく

正しい徳。また、徳をただす。〔管子、君臣上〕治亂はに在るのみ。故に曰く、の身はを正すの本なり。官治耳目の制なりと。

字通「正」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の正徳の言及

【元号】より

…なお,古代の年号として,列滴(孝霊朝),璽至(応神朝),善記(継体朝),僧聴(宣化朝)その他の多くの年号が《二中歴》《如是院年代記(建仁寺年代記)》《和漢年契》その他の諸書に見えているが,これらは平安末期以降において僧徒らによって創作された架空の年号と考えられている。 江戸時代においても,幕府側の意向が改元を左右した例は幾つか見られるが,正徳の改元(1711)の場合のように,朝廷の内定した年号を無視して幕府が正徳の年号を主張したため,改めてこの年号を勅定して改元が行われた例もある。後になると幕府の介入は少なくなるが,改元に幕府の同意を必要とする慣例は幕末まで続いている。…

※「正徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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