朝日日本歴史人物事典 「島津将曹」の解説
島津将曹
江戸後期の薩摩(鹿児島)藩家老。諱は久徳。本姓は碇山,のち島津姓を許される。調所広郷と姻戚を結んで昇進し,調所の死後も藩主島津斉興に重用された。斉興の後継争いをめぐっては,島津久光派の重鎮として活動し,島津斉彬の襲封を押さえるとともに,斉彬の擁立を求めた家中の紛議である嘉永2(1849)年の「お由羅騒動」(「嘉永朋党事件」)では,斉彬派の青年藩士らを多数処罰した。翌3年には「一所持ち」の家格となり家老に任ぜられたが,同4年の斉彬の襲封にともなって失脚した。<参考文献>池田俊彦『島津斉彬公を中心とする薩摩近世史』
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報