鹿児島県北西部、薩摩郡にあった旧町名(薩摩町(ちょう))。現在はさつま町の東部を占める。旧薩摩町は1954年(昭和29)永野、中津川、求名(ぐみょう)の3村が合併して町制施行。2005年(平成17)宮之城(みやのじょう)町、鶴田(つるだ)町と合併、さつま町となった。旧町域は川内(せんだい)川中流域の農山村。JR鹿児島本線川内駅からバスの便があり、国道267号、504号が通じる。江戸時代(1600年代)永野金山が活況を呈し、薩摩藩財政に大きく貢献したが、現在は閉山(1953)している。米、肉牛、タバコ、養蚕などの農業や、林業が中心であるが過疎化が著しい。小工場の誘致もみられる。別府原(びゅうばる)古墳や観音滝(かんのんだき)公園がある。
[田島康弘]
『『薩摩町郷土史』(1968・薩摩町)』▽『『薩摩町郷土史資料3』(1980・薩摩町)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…北は宮崎・熊本両県に隣接する。
[沿革]
明治初年までの大隅国,薩摩国にあたり,江戸時代は鹿児島藩(薩摩藩)に属した。1871年(明治4)廃藩置県をへて,大隅国の一部と薩摩国,琉球国は鹿児島県に,他は都城県に属したが,翌年琉球国は鹿児島県を離れ,73年都城県が廃されて現在の県域となった。…
…しかし,朝日,古曾部,赤膚は遠州の活動期以後の窯である。他方,松平不昧が著した《瀬戸陶器濫觴(らんしよう)》では,遠州時代の国焼として高取,薩摩,肥後,丹波,膳所,唐津,備前の7窯をあげており,これらの窯は遠州時代に活動していた窯であった。この二つの資料のうち,共通している高取焼と膳所焼はたしかに遠州との結びつきも深いが,全体として七窯の選択根拠ははなはだあいまいで,信憑性は薄い。…
※「薩摩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新