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江戸後期の薩摩(さつま)藩家老。安永(あんえい)5年2月5日、鹿児島城下の下級武士川崎家に生まれ、のち調所家の養子となった。幼名良八、のち笑悦(しょうえつ)、笑左衛門と改めた。前藩主島津重豪(しげひで)付きの茶坊主となったことからそのお気に入りとなり、累進して御側用人(おそばようにん)となった。薩摩藩では重豪の隠居後急速に藩債が増加して、文政(ぶんせい)(1818~30)の末には500万両の巨額に達した。1827年(文政10)調所はその財政改革主任を命ぜられ、以来死力を尽くして改革にあたった。顕著な方策としてまず奄美(あまみ)大島、徳之島、喜界(きかい)島三島の砂糖専売政策をとり、三島砂糖の売買を厳禁し、違反者は死刑などの極刑に処し、上納後の余分の黒糖についても島民の日用品と交換する仕組みで、それを大坂市場価格の4分の1ぐらいで引き取った。また藩債500万両を年2万両ずつ返済する藩債250年賦償還法をとり、さらに米、菜種その他の国産品改良や密貿易などで利益をあげた。こうしてついにみごと財政改革に成功、天保(てんぽう)(1830~44)末期には藩庫備蓄金50万両のほか、諸営繕費用200万両余に達したという。財政改革の功により家老となり、開明派の世子斉彬(なりあきら)と対立したが、幕府より密貿易の嫌疑を受け、嘉永(かえい)元年12月18日急死、自殺という。
[芳 即正]
『原口虎雄著『幕末の薩摩』(中公新書)』
江戸後期,薩摩藩の財政担当者。通称笑左衛門。茶坊主より昇進して1833年(天保4)家老となる。1830年島津重豪(しげひで)より,破局財政再建のため,(1)以後10年間に50万両の貯蓄,(2)50万両のほかに平時ならびに非常時の手当金の貯蓄,(3)500万両の古借証文の回収を命ぜられる。まず経済学者佐藤信淵の意見を聞き,また出雲屋孫兵衛ら経済専門家を配下に集めて着手した。改革の主柱としたのは大島,徳之島,喜界島3島の黒糖の総専売であり,ハゼ蠟,コウゾ,ナタネ,ウコン等の諸国産の開発専売を強行した。36-38年には大坂,江戸の借用証文を取り上げ,250年賦無利子払いに切り替えた。また偽金の密造や琉球国利用の中国密貿易をも敢行したが,露見した密貿易の責任を負って服毒自殺した。
主命の3目標達成はもちろん,改革の20年間に道路,河川,橋梁,新田,社寺,藩邸等の営繕に200万両を注いだ。彼の生命をかけた藩政改革は,後の薩摩藩維新運動のエネルギーとなった。
執筆者:原口 虎雄
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(笠谷和比古)
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1776.2.5~1848.12.19
江戸後期の鹿児島藩家老。鹿児島藩士川崎基明の次男で,茶道坊主調所清悦家を継ぐ。笑悦,のちに笑左衛門と称す。側用人として島津重豪(しげひで)・同斉興の財務を担当し,1827年(文政10)には財政改革主任となり,翌年改革に着手。30年(天保元)10年間で50万両備蓄し,古借証文を回収せよとの命をうけ,三島(奄美大島・喜界島・徳之島)砂糖惣買入制を実施。藩債500万両の250年賦償還を断行し,44年(弘化元)50万両の備蓄を達成した。46年幕府から琉球交易の黙許をえ,唐物貿易を企てた。48年(嘉永元)密貿易の責を負い,服毒自殺。
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…48年(嘉永1)には世子斉彬(なりあきら)は40歳の壮齢であったが,斉興は藩主の座を譲らなかった。斉興や家老調所(ずしよ)広郷の考えでは〈斉彬の世になれば曾祖父重豪(しげひで)にならって,蘭癖のため藩庫をからにするであろう〉と,藩の前途を危ぶんでいたのである。世評では,側室お由羅が調所らと結んで自分の腹の久光を立てようとしている,斉彬の7人の子女が次々と夭折したのはお由羅の呪詛によるものだと,取りざたした。…
… 藩財政は永年の戦争のため藩初から窮迫していたが,江戸の寛永寺や木曾川治水の御手伝普請(宝暦治水事件),たびたびの火災,島津重豪(しげひで)の積極開化政策などのため,1830年代には藩債は500万両に達し,これに対し国産の売上高は年間30万両であったから,まさに藩庫は破産していた。この藩財政をよみがえらせたのが奄美,沖縄の特産資源,ことに奄美の黒糖で,調所広郷(ずしよひろさと)の〈天保改革〉(1830‐48)は活路を黒糖の専売に求め,ほかにも諸物産の専売,密貿易,偽金づくり,500万両の踏倒しなどの周密な非常手段を用い,一転して日本一といわれるほどの富国に再生した。 国境は関所,辺路番所,津口番所で他国との接触を不自由にし,ことに奄美,沖縄は完全に他国人の目から遮断し,唐通詞を置いていた(このような二重鎖国と専売制度下の領内は自給自足のほぼ自然経済状態に保たれ,町場は未成熟であった)。…
※「調所広郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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