嶋庄(読み)しまのしよう

日本歴史地名大系 「嶋庄」の解説

嶋庄
しまのしよう

「尋憲記」の元亀二年(一五七一)一二月二八日付の五条野日向守宛の多聞院盛舜の書状に「橘寺領嶋庄并山以下、従越智伊予守多武峯沽脚申之由注進候、彼寺之儀者一円当御門跡御存知事不珍儀候、然処、自越智方、無故致混乱由前代未聞曲事之至候(下略)」とある。これによると、嶋庄はたちばな寺領と考えられるが、「彼寺之儀者一円当御門跡御存知」ともあるので、同庄は興福寺大乗院領であって、同院末寺の橘寺(大乗院雑事記)は預所であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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