川枯郷(読み)かわかれごう

日本歴史地名大系 「川枯郷」の解説

川枯郷
かわかれごう

和名抄」所載の郷。東急本・元和古活字本等では新川郡一〇郷の最後に記される。高山寺本ではおおやぶ郷の次で、丈部はせつかべ郷の前に記し「今亡」と注記する。郷名の川枯は、神護景雲元年(七六七)一一月一六日の新川郡大村墾田地図(正倉院蔵)のなかに、大庄内の南部を東西に通じる道を「従郡川枯往道」とみえるのが早い。この道は大庄並びに大郷の内を通過しており、川枯は大郷と丈部郷の間に記される高山寺本等の川枯郷とみられ、「郡家より川枯郷へ往く道」と解釈できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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