川澄村(読み)かわすみむら

日本歴史地名大系 「川澄村」の解説

川澄村
かわすみむら

[現在地名]下館市川澄

小貝こかい川右岸に位置し、北は大関おおぜき村。中世には常陸大掾氏の一族で、小栗おぐり(現真壁郡協和町)城主であった小栗重政の子が当村に土着したといわれ、「新編常陸国誌」には「川澄氏ハ真壁郡川澄村ヨリ起ル、小栗重政ノ二子重顕、川澄又次郎ト称ス」とある。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となる。江戸初期に下館藩領となり、元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)や寛永一六年(一六三九)の下館領五万石村々石高牒(田宮家文書)に、村高一〇五四・三五四石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 大関 かじ

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む