日本歴史地名大系 「左草村」の解説 左草村さくさむら 大分県:大野郡清川村左草村[現在地名]清川村三玉(みたま) 左草・中原(なかのはる)宇田(うた)村の南西、奥岳(おくだけ)川西岸にある。正保郷帳に村名がみえ、田高一一七石余・畑高八六石余、耳忍(みみしの)郷に属し、日損所と注記される。天保(一八三〇―四四)頃の御案内記(大久保家文書)によれば高一八〇石余、反別は田八町五反余・畑一三町三反余・屋敷五反余、免七ツ三分の中の村で、物成は米九二石余・大豆六三石余、家数三八・人数九三、牛五一・馬一二。村内に御駕籠建(茶屋)があった。安永七年(一七七八)には日小田組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。享保八年(一七二三)には宇田枝(うたえだ)村との間の奥岳川に長さ二六間・幅二間の左草瀬橋が架けられた(御案内記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by