天満社
てんまんしや
[現在地名]水海道市大生郷町
大生郷町の南部、飯沼新田の東南縁に鎮座。大生郷天満宮・菅原天満宮と通称される。祭神菅原道真。旧村社。社伝によれば道真の三子景行が延長四年(九二六)に父の遺骨を筑波山北麓に埋葬し、同七年に現在地へ遷祀したといわれる。この由緒を刻んだ延長七年銘の石碑が現存するが、碑面は磨滅している。古くは安楽寺が別当であった。戦国期には小田原北条氏と下妻城主多賀谷政経・重経父子との北総争奪戦の戦場となり、「多賀谷旧記」には天正二年(一五七四)のこととして
<資料は省略されています>
とあり、多賀谷氏によって再興されたことが知られる。
天満社
てんまんしや
[現在地名]八千代町東蕗田
東蕗田西南部の台地上に森に囲まれて南向きに鎮座。飯沼新田より上る正面参道が古く、新参道は北に鳥居を設け、長い馬場(参道)が神社まで続く。祭神は菅原道真。金山彦命・天児屋根命・誉田別命・別雷命を配祀。旧村社。境内社は大日神社・東照宮・稲荷神社・三峰神社のほか疫神社二社。由緒書によると創建は正応元年(一二八八)といわれ、慶長九年(一六〇四)一一月伊奈忠次より黒印地三石を受けた。享保一〇年(一七二五)三月に鳥居、同一九年一二月に本殿を建立。
天満社
てんまんしや
[現在地名]石下町原宿
原宿集落東部に鬱蒼とした古木に囲まれて鎮座。石鳥居の扁額などには「天満宮」とある。祭神菅原道真。旧村社。社伝によると建治二年(一二七六)正月に現京都市の北野天満宮より分祀。境内の明治二八年(一八九五)八月建立の菅公廟再建碑に「文明中所
建」とあるように文明年間(一四六九―八七)の創建とする説や原宿村創立の寛文二年(一六六二)創建説などがある。
天満社
てんまんしや
[現在地名]三和町仁連
長井戸沼のヤト田を望む台地に鎮座。祭神菅原道真。旧村社。鳥居に「安永四乙未年三月吉日石鳥居一基下総国猿嶋郡仁連町別当妙厳寺」、手水鉢に「文政八年仁連町氏子中別当安楽寺供養導師諸川町宝蔵寺法印」と刻む。社伝によれば創建は弘安年間(一二七八―八八)で永享年間(一四二九―四一)の兵火により社殿焼失、寛永年間(一六二四―四四)に再興、同一七年三代将軍家光より神田三石を付せられ、慶安元年(一六四八)に社領三石を得た。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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