日本歴史地名大系 「巾下学問所跡」の解説 巾下学問所跡はばしたがくもんじよあと 愛知県:名古屋市西区堀江町巾下学問所跡[現在地名]西区塩町小船(こぶな)町の北、朝日(あさひ)橋西南角にあった。学問所・巾下明倫(めいりん)堂ともいう(御日記頭書、葎の滴感興漫筆、護花関随筆)。寛延元年(一七四八)儒者細野養斎は藩の許可を得て、巾下門外の作事役所内敷地三〇〇坪に学問所と居宅の建築に着手。藩は財政的にこれを援助。翌年、藩主徳川宗勝は明倫堂の三大字を書いて与えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by