福岡市西部に位置し、北は博多湾・
西区は旧早良郡と旧糸島郡(旧怡土郡・旧志摩郡)からなる。両郡は地勢的に異なり、旧早良郡域は早良平野西部の室見川水系に属し、その西の旧糸島郡域は糸島地域と称される。旧石器時代の遺跡は室見川水系では山麓斜面から扇状地上に立地し、
市域中央西寄りに位置し、北は
当区域の開発が始められたのは天正一一年以降で、豊臣秀吉の大坂城築城に伴って城下町が成立したことにより、その外縁部として海と城下を結ぶ位置を占めるようになってからのことであろう。慶長五年(一六〇〇)には
区域の市街が本格的に整備されたのは徳川時代以後である。元和元年(一六一五)から五年まで大坂藩主松平忠明により戦乱で荒廃した市中の秩序回復と市街整備が推進されたが、同五年の忠明の大和郡山移封後は幕府直轄地として大坂城代・町奉行の治下で本格的な都市計画が着手された。元和年間完成の
横浜市のほぼ中央に位置し、北は神奈川区
時宗血脈相続之次第(藤沢市清浄光寺蔵)に、遊行五代の安国が正中二年(一三二五)に「武州芝宇宿」で賦算を行ったとあり、また鶴岡八幡宮文書の関東管領上杉清方家奉行人連署奉書(県史三)に「武蔵国師岡保柴関所」とあり、鎌倉鶴岡八幡宮本地護摩供料所であった。
近世を通じて幕府直轄領で、芝生村は
市の西北部を占め、東は北区、北は西春日井郡
古代の当区域は、南部は愛知郡、その他は
昭和五七年(一九八二)垂水区から分区して成立。面積は神戸市の約四分の一を占め、北区に次いで広い。市の西端に位置し、東は北区・須磨区、東から南は垂水区、南から西は明石市、西は加古郡
広島市の南部西側に位置し、北は安佐南区、西は佐伯郡
昭和四七年(一九七二)札幌市が政令指定都市に移行したことで設置。平成元年(一九八九)北部は分区して手稲区となった。札幌市の北西部に位置し、北東は北区、南東は中央区、西は南区、北は手稲区に接する。北東部は石狩平野西部の平地、南西部は手稲山(一〇二三・七メートル)や
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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