西区(読み)ニシク

デジタル大辞泉 「西区」の意味・読み・例文・類語

にし‐く【西区】[札幌市]

西

にし‐く【西区】[さいたま市]

西

にし‐く【西区】[横浜市]

西

にし‐く【西区】[名古屋市]

西

にし‐く【西区】[大阪市]

西

にし‐く【西区】[神戸市]

西

にし‐く【西区】[広島市]

西

にし‐く【西区】[福岡市]

西

にし‐く【西区】[堺市]

西

にし‐く【西区】[浜松市]

西

にし‐く【西区】[新潟市]

西

にし‐く【西区】[熊本市]

西

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日本歴史地名大系 「西区」の解説

西区
にしく

面積:八三・八三平方キロ

福岡市西部に位置し、北は博多湾・今津いまづ湾と玄界灘に面する。区域は今津湾沿いから北西へと延び、玄界灘に突き出た糸島いとしま半島東側と博多湾中の能古のこ島、玄界灘の玄界げんかい島・小呂おろ島を含む。東・南は早良さわら区、西は前原まえばる市・糸島郡志摩しま町に接する。東境を室見むろみ川が北流して博多湾に注ぎ、糸島半島の付根を瑞梅寺ずいばいじ川が北東へ流れて今津湾の内海に入る。室見川流域は早良平野西部にあたり、南から南西部は背振せふり山地から北へ派生する山稜の北側で、西にし(四三〇・一メートル)飯盛いいもり(三八二・四メートル)かのう(三四一メートル)高祖たかす(四一六・一メートル)などがある。北西部は糸島半島突端の西浦にしのうら崎に至る。JR筑肥線が東西に通り、姪浜めいのはまから東へ市営地下鉄一号線が延びる。筑肥線北側今津湾寄りを国道二〇二号、南側を都市高速一号線から続く西九州自動車道が通る。

西区は旧早良郡と旧糸島郡(旧怡土郡・旧志摩郡)からなる。両郡は地勢的に異なり、旧早良郡域は早良平野西部の室見川水系に属し、その西の旧糸島郡域は糸島地域と称される。旧石器時代の遺跡は室見川水系では山麓斜面から扇状地上に立地し、吉武よしたけ遺跡、羽根戸原はねどはら遺跡(羽根戸)浦江うらえ遺跡(金武)などがある。糸島地域では丘陵頂部に立地し、飯氏いいじ遺跡、元岡もとおか遺跡、大原おおばるD遺跡、小田こた遺跡、今山いまやま遺跡などがある。いずれの地域もナイフ形石器段階後半期から細石器段階まで存続する。縄文時代の遺跡は前時期と同じ立地であり、室見川水系では広石ひろいし遺跡(拾六町)、浦江遺跡で縄文早期の土器・石器類が出土し、吉武遺跡には縄文後期の堅果類貯蔵穴群がある。糸島地域では大原遺跡・元岡遺跡が縄文草創期―早期の集落で、この時期には発見例の少ない住居・炉・集石遺構などがある。


西区
にしく

面積:五・二七平方キロ

市域中央西寄りに位置し、北は土佐堀とさぼり川・安治あじ川を境に北区・福島区・此花このはな区、東は阪神高速大阪環状線を境に東区・南区、南は道頓堀どうとんぼり川を境に浪速なにわ区、岩崎いわさき運河を境に大正区、西は港区に接する。北縁で土佐堀川堂島どうじま川が合流して安治川となる辺りから木津きづ川が分流し、ほぼ中央を南流する。南北に市道南北線(四つ橋筋・地下鉄四つ橋線)・主要地方道大阪―伊丹線(なにわ筋)・同大阪臨海線(地下鉄千日前線)などが縦断し、東西に国道一七二号・阪神高速大阪―東大阪線(中央大通・地下鉄中央線)・府道大阪―八尾線などが横断する。当区一帯はもと淀川の河口に形成された砂洲で、古代までは大部分が海中であったと考えられる。天正四年(一五七六)石山いしやま本願寺(跡地は現東区)を救援する毛利水軍が木津川河口で織田水軍を破ったことが知られるが、その当時でも未開の葭島であったと思われる。

〔近世〕

当区域の開発が始められたのは天正一一年以降で、豊臣秀吉の大坂城築城に伴って城下町が成立したことにより、その外縁部として海と城下を結ぶ位置を占めるようになってからのことであろう。慶長五年(一六〇〇)には阿波堀あわぼり川が開削され、土佐堀川や阿波堀川の付近には土佐や阿波の商人が集住しており、土佐座とさざ阿波座あわざと称されていた。また同九年には豊臣秀頼が長さ二町の橋を木津川に架けたといわれており、当地域の開発がある程度進んでいたと思われる。同一九年・二〇年の大坂冬の陣・夏の陣で当地域も戦場となり、木津川に沿う博労ばくろう淵に大坂方の砦が築かれ、また逆に寄手の蜂須賀家や伊達家の陣所が設けられたことが知られるが、当地域は両度の戦いで灰燼に帰した。

区域の市街が本格的に整備されたのは徳川時代以後である。元和元年(一六一五)から五年まで大坂藩主松平忠明により戦乱で荒廃した市中の秩序回復と市街整備が推進されたが、同五年の忠明の大和郡山移封後は幕府直轄地として大坂城代・町奉行の治下で本格的な都市計画が着手された。元和年間完成の西横堀にしよこぼり川に東を、土佐堀川と同元年完成の道頓堀川に北と南を限られ、すでに開削されていた阿波堀川のほか、同三年に江戸堀えどぼり川、同六年京町堀きようまちぼり川、同じ頃に長堀ながほり(一説には寛永二年)、寛永元年(一六二四)海部堀かいふぼり川、同三年立売堀いたちぼり川、同七年薩摩堀さつまぼり川が開削され、西船場にしせんばが開発された。さらに元禄一一年(一六九八)堀江ほりえ新地開発に際して堀江川が開削され、西横堀川と木津川がこれらの堀川で結ばれて、水上交通による物資輸送の動脈が形成された。


西区
にしく

面積:六・三三平方キロ

横浜市のほぼ中央に位置し、北は神奈川区高島台たかしまだいから南軽井沢みなみかるいざわ北軽井沢浅間台せんげんだいに続く丘陵、南は紅葉もみじおかから西戸部にしとべ町、南区三春台みはるだいに至る丘陵が占め、その間を西から東へ帷子かたびら川が流れて横浜港に注ぎ、その堆積によって生じた沖積層と埋立地が区の中心をなす。面積は一四区中最小で市全体の一・五パーセント、人口も最少で減少傾向にあるが、南区に次ぐ過密区である。古くは帷子川河口はずっとさかのぼり、南北の下末吉しもすえよし台地に挟まれて入海となっており、南部の丘陵からは縄文後期の伊勢山いせやま貝塚・いけさか貝塚が発見され、また北部丘陵続きの三ッ沢みつざわ貝塚(神奈川区)は縄文時代の集落遺跡として著名である。

時宗血脈相続之次第(藤沢市清浄光寺蔵)に、遊行五代の安国が正中二年(一三二五)に「武州芝宇宿」で賦算を行ったとあり、また鶴岡八幡宮文書の関東管領上杉清方家奉行人連署奉書(県史三)に「武蔵国師岡保柴関所」とあり、鎌倉鶴岡八幡宮本地護摩供料所であった。芝生しぼう師岡もろおか保の最南端、神奈川湊青木あおき町の背後にあり、街道筋の集落地として早くから開けていたことがうかがわれる。小田原衆所領役帳には富部とべの地名がみえる。

近世を通じて幕府直轄領で、芝生村は橘樹たちばな郡、戸部村は久良岐くらき郡に属した。芝生村は東海道神奈川宿(現神奈川区)保土ほど宿(現保土ヶ谷区)の中間の街道村で、街道両側に町並をなし、北は袖摺そですり山が控え、南は入海(袖ヶ浦)に面した。


西区
にしく

面積:一八・〇〇平方キロ

市の西北部を占め、東は北区、北は西春日井郡師勝しかつおよび西春にしはるの両町、西は同郡清洲きよす西枇杷島にしびわじまの両町および春日はるひ村、南は中・中村の両区に隣接する。地形は一般に低平な沖積平野で、中央部を庄内川、北部をしん川がそれぞれ東北から西南に流れている。原始時代の遺跡は、東部には、北区にもまたがる西志賀にししが貝塚をはじめ、その南方の天塚あまづか町・七夕たなばた町・吹出ふきで町・紙漉かみすき町などでは弥生時代から古墳時代にかけてのものが多い。

古代の当区域は、南部は愛知郡、その他は山田やまだ郡に属したようで、「和名抄」や「釈論開解鈔」奥書(真福寺蔵)にみえる物部郷や田幡郷が相当するらしいが、庄内川の流域は陸地の変化が激しかったので、その境界などは明らかでない。荘園には、北・中部に山田庄、西部に於田江おだえ(小田井)庄、南部に那古野なごや庄があった(江家次第裏書)


西区
にしく

面積:一三七・八二平方キロ

昭和五七年(一九八二)垂水区から分区して成立。面積は神戸市の約四分の一を占め、北区に次いで広い。市の西端に位置し、東は北区・須磨区、東から南は垂水区、南から西は明石市、西は加古郡稲美いなみ町、北は三木市に接する。東部は明石川と支流の川・櫨谷はせたに川が流れ、押部おしべ谷・伊川いかわ谷・櫨谷を形成、西部は印南野いなみの台地東端に位置する。明石川に沿って国道一七五号(旧三木街道)が通る。


西区
にしく

面積:三四・四九平方キロ

広島市の南部西側に位置し、北は安佐南区、西は佐伯郡五日市いつかいち町、東は天満てんま川を境に中区に接し、南は広島湾に臨む。区域の北西部、太田おおた川放水路の西岸一帯は標高二〇〇メートル前後の山地であるが、近年その山中に多くの大規模団地が開発されている。太田川放水路西岸および広島湾沿岸は市街地で、海岸線に沿って国道二号・国鉄山陽本線・広島電鉄宮島線が通る。


西区
にしく

面積:七四・九三平方キロ

昭和四七年(一九七二)札幌市が政令指定都市に移行したことで設置。平成元年(一九八九)北部は分区して手稲区となった。札幌市の北西部に位置し、北東は北区、南東は中央区、西は南区、北は手稲区に接する。北東部は石狩平野西部の平地、南西部は手稲山(一〇二三・七メートル)百松沢ひやくまつざわ(一〇三八・一メートル)などがそびえる山地で、琴似発寒ことにはつさむ(旧発寒川)が流れる。


西区
にしく

2003年4月1日:さいたま市の政令指定都市移行に伴い、中央区・北区・西区・大宮区・見沼区・南区・桜区・浦和区・緑区を設置
【さいたま市】[変更地名]埼玉県


西区
にしく

2007年4月1日:新潟市の政令指定都市移行に伴い、中央区・東区・西区・北区・江南区・秋葉区・南区・西蒲区を設置
【新潟市】[変更地名]新潟県


西区
にしく

2007年4月1日:浜松市の政令指定都市移行に伴い、中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区を設置
【浜松市】[変更地名]静岡県


西区
にしく

2006年4月1日:堺市の政令指定都市移行に伴い、堺区・中区・東区・西区・南区・北区・美原区を設置
【堺市】[変更地名]大阪府


西区
にしく

2012年4月1日:熊本市の政令指定都市移行に伴い、中央区・北区・西区・南区・東区を設置
【熊本市】[変更地名]熊本県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西区」の意味・わかりやすい解説

西〔区〕
にし

新潟県中部,新潟市中西部の区。日本海に面し,東部の中央区および江南区との境を信濃川が流れる。 2007年新潟市の政令指定都市化に伴い区制。 2005年の合併以前の旧新潟市域のうち信濃川と関屋分水路以西の区域,および旧町の北部からなる。米作や野菜栽培,花卉園芸などの農業が盛んで,枝豆,ダイコン,スイカを特産。黒埼は砂時計の生産で知られる。南部にラムサール条約登録湿地の佐潟があり,コハクチョウヒシクイの渡来地,オニバスの自生地として知られ,佐渡弥彦米山国定公園に属する。 JR越後線,国道8号線,116号線,402号線が通り,北陸自動車道のインターチェンジがある。面積 94.00km2。人口 16万656(2020)。

西〔区〕
にし

静岡県西部,浜松市南西部の区。浜名湖の東岸に広がり,遠州灘に臨む。 2007年浜松市の政令指定都市化に伴い区制。 2005年の合併以前の旧浜松市域南西部と旧舞阪町および雄踏町域からなる。工業団地が点在し,金属,機械,食品,木工などさまざまな業種の工場が立地。浜名湖ではウナギ,スッポン,カキ,ノリ,エビなどの養殖が行なわれる。野菜や花卉の栽培も盛んで,タマネギを特産する。宇布見の中村家住宅は国の重要文化財に指定。浜名湖東岸の北部に舘山寺温泉,南部に弁天島温泉があり,周辺一帯は景勝地や名所旧跡に富み,浜名湖県立自然公園に属する。 JR東海道本線が南部,東名高速道路が北部を横断し,国道1号線,257号線が通じる。面積 114.71km2。人口 10万8160(2020)。

西〔区〕
にし

大阪府中西部,堺市西部の区。西部は大阪湾に臨む。2006年堺市の政令指定都市化に伴い区制。臨海部はかつて,白砂青松の景勝地で知られるリゾート地,高級住宅地であった。1965年頃から埋立地が造成され,堺泉北臨海工業地域の一部をなす。西部の浜寺にはバラ庭園や各種運動施設を備える浜寺公園がある。日部神社の本殿および石燈籠は国の重要文化財,弥生時代の住居跡などが残る四ツ池遺跡は国指定史跡。履中天皇陵(→履中天皇)は百舌鳥古墳群(→百舌鳥)を構成し,2019年世界遺産の文化遺産に登録。このほか国指定史跡の文珠塚古墳がある。JR阪和線,南海電気鉄道南海本線,阪堺電気軌道阪堺線,阪神高速4号湾岸線,国道26号線が通る。面積 28.62km2。人口 13万5375(2020)。

西〔区〕
にし

熊本県中部,熊本市西部の区。有明海に面し,南区との境を白川が流れる。2012年熊本市の政令指定都市化に伴い区制。ミカンなどの果樹栽培が行なわれるほか,沿岸部ではノリ,アサリ,ハマグリの養殖など漁業も盛ん。国指定史跡の千金甲古墳池辺寺跡加藤清正の菩提寺である本妙寺など名所・旧跡も多い。西部に金峰山の景勝地があり,周辺は金峰山県立自然公園に属する。九州新幹線が通り,JR鹿児島本線と豊肥本線が分岐する。沿岸を国道501号線が通る。面積 89.33km2。人口 9万1177(2020)。

西〔区〕
にし

福岡県北西部,福岡市の西端にある区。 1972年の政令指定都市昇格に伴い発足。 82年5月に分割され,城南区早良区および西区となった。室見川以西の博多湾西半を囲む地域で,能古 (のこ) ,玄界,小呂の3島を含む。農業地域が広いが,地下鉄が中心市街地の姪浜 (めいのはま) で JR筑肥線と相互乗入れ,近年住宅地化が著しい。生ノ松原など玄海国定公園に属する海岸,元寇防塁丸隈山古墳大塚古墳野方遺跡,吉武高木 (よしたけたかぎ) 遺跡,今山遺跡などの史跡,国宝の盂蘭盆一品経 (うらぼんいっぽんきょう) 縁起を所蔵する誓願寺などがある。長垂 (ながたれ) の含紅雲母ペグマタイト岩脈は天然記念物。面積 84.15km2。人口 21万2579(2020)。

西〔区〕
にし

神奈川県東部,横浜市東部の区。1944年中区から分離して区制。帷子川(かたびらがわ)の沖積地にあり,河口付近の岡野,平沼は江戸時代末期に埋め立てられた新田地。横浜港の奥にあたる臨海部にはみなとみらい21地区があり,それに接して市の表玄関 JR横浜駅がある。駅の西側は第2次世界大戦まで軍用地で戦後再開発されたが,特に 1956年以降の開発はめざましく,市の中心繁華街へと発展。東側も 1971年から開発が急速に進み,売場面積世界最大級のデパートをはじめとする商店街を形成,駅の東西地下通路の開設もあり,駅周辺は市最大の商業地域となった。南東部の丘陵には野毛山公園,掃部山公園,県立図書館,音楽堂などがある。JR,相模鉄道,市営地下鉄などの鉄道や,国道1号線,16号線,首都高速道路など道路も集中する交通の要衝。面積 7.03km2。人口 10万4935(2020)。

西〔区〕
にし

大阪市中部の区。 1889年市制施行に伴って設置された4区の一つ。淀川三角州に位置し,北は土佐堀川,安治川,東は西横堀川 (埋立て) ,西は境川 (埋立て) ,南は西道頓堀川に囲まれ,中央を南北に木津川が流れる。多くの運河があったが,第2次世界大戦後ほとんど埋立てられて道路になり,わずかに「堀」という町名に名残りをとどめている。木津川より東は江戸時代初期に開発された商業地区で,現在も靭 (うつぼ) の海産物,立売堀 (いたちぼり) の機械工具,西長堀の材木,西横堀の陶磁器,立花通りの家具などの問屋街を形成。東部の四ツ橋筋とその周辺はビジネス街。木津川より西部は海運関係の倉庫,会社が多い。川口町付近は明治1 (1868) 年大阪港の開かれた川口波止場と居留地のあったところ。地下鉄中央線,千日前線,四つ橋線が通る。面積 5.21km2。人口 10万5862(2020)。

西〔区〕
にし

愛知県西部,名古屋市北西部を占める区。 1908年区制。慶長 15 (1610) 年名古屋城築城のとき,清州から移住して形成された町家を中心に市街地が発達。菓子,扇子,メリヤス,靴,衛生材料などの伝統的な家内工業が発達していた。 1955年区域が北部へ拡大,平田,比良に住宅団地が造成され,又穂には地上 15階建の高層住宅団地が完成。西部には陶器,化学繊維,電気機器,機械などの大工場が点在している。枇杷島 (びわしま) に野菜,果物などを集散する市営青果市場があったが,中央卸売市場北部市場の名で豊山町に移転。面積 17.93km2。人口 15万1082(2020)。

西〔区〕
にし

北海道中西部,札幌市の中北部にある行政地区名。 1972年区制。 89年,北部の手稲地区を分区。琴似発寒 (ことにはっさむ) 川扇状地とその南西部の山地を占める住宅および工業地域。国道5号線沿いと発寒には,木工団地,鉄工団地などが造成され,機械,金属,食品などの工業が発達。扇状地は住宅地域を形成。市営地下鉄東西線琴似駅周辺は商業の中心地区。琴似屯田兵村兵屋跡 (史跡) がある。札樽自動車道が通り,札幌西インターチェンジがある。面積 75.10km2。人口 21万7040(2020)。

西〔区〕
にし

広島市南部,広島湾に臨む区。 1980年区制。市街地の西部を占め,太田川放水路両岸のデルタに位置する。南端に造船所がある。区の西半部は丘陵地で,己斐 (こい) ,山田,井口,鈴が峰などに住宅団地が,草津沖の埋立地に大規模な流通団地がある。東部の横川で JR山陽本線と可部線が分岐する。面積 35.61km2。人口 19万232(2020)。

西〔区〕
にし

兵庫県神戸市西部の区。 1982年垂水区の一部をもって設置。神戸市の住宅地域。南部を第二神明道路,阪神高速7号北神戸線が東西に通り,その沿道に住宅団地や工業団地が立地。中央部に西神ニュータウンが建設され,市営地下鉄で市中央部と結ばれる。伊川谷町の太山寺本堂は国宝。面積 138.01km2。人口 23万8877(2020)。

西〔区〕
にし

埼玉県南東部,さいたま市西部の区。 2003年,さいたま市の政令指定都市化に伴って区制。東に鴨川,西に荒川が流れ,ほぼ中央を JR川越線が横断し,西大宮バイパスと新大宮バイパスが交差する宮前インターがある。荒川の河川敷にはゴルフ場や運動場,公園が整備されている。面積 29.12km2。人口 9万3499(2020)。

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