コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

明倫堂 めいりんどう

4件 の用語解説(明倫堂の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

明倫堂
めいりんどう

(1) 金沢藩の藩校。寛政4 (1792) 年藩主前田治修によって設立。学頭新井白蛾。享和3 (1803) ,天保 10 (39) 年と学制改革を経て維新まで継続。 (2) 出羽新庄藩の藩校。天明年間 (1781~89) に開校。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

めいりん‐どう〔‐ダウ〕【明倫堂】

江戸時代の藩校。諸藩に同名のものがあるが、尾州藩と加賀藩のものが有名。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

めいりんどう【明倫堂】

江戸時代の藩校の名。尾張徳川家・加賀金沢藩・信濃小諸藩・日向高鍋藩・出羽新庄藩などのものが有名。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

明倫堂
めいりんどう

尾張(おわり)(名古屋)藩の藩学。通説では日本最初の藩学。江戸時代最古、1629年(寛永6)以前創建の聖堂(孔子廟(こうしびょう))で、好学の初代藩主徳川義直(よしなお)の書斎兼学問所を淵源(えんげん)とし、やがて半官半私の藩士教育機関として城南に大津町学問所が開かれ、のち1748年(寛延1)蟹養斎(かにようさい)の願いによる巾下(はばした)門外の学問所が設けられ、翌年9代藩主宗睦(むねちか)が「明倫堂」の名を書き与えたが、いずれも不振に終わった。本格的藩学は、1783年(天明3)細井平洲(へいしゅう)を総裁として片端(かたは)長島町東角に発足。新たに聖堂、さらに講堂、学寮、飯堂を建設、このころは士庶を問わず聴講を許し、盛況であった。1863年(文久3)天文、地理、兵学を加え、藩士に文武両道を授けた。1871年(明治4)廃止。
 なお、同名の藩学が、播磨安志(はりまあんじ)、伊予大洲(おおず)、日向(ひゅうが)高鍋(たかなべ)、羽前新庄(しんじょう)、加賀金沢(かなざわ)、信濃小諸(しなのこもろ)、信濃上田(うえだ)の諸藩にあった。[木槻哲夫]
『文部省編・刊『日本教育史資料1 巻3 東山道』『日本教育史資料1 巻3 附図』(1889) ▽笠井助治著『近世藩校の綜合的研究』(1960・吉川弘文館) ▽吉永昭著『愛知県の教育史』(1983・思文閣出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

明倫堂の関連キーワード興譲館明倫館大田蘭香奥村尚寛清光(4)駒井躋庵中島石浦前田利尚三角風蔵山田新川

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

明倫堂の関連情報