市谷清内屋敷(読み)いちがやせいないやしき

日本歴史地名大系 「市谷清内屋敷」の解説

市谷清内屋敷
いちがやせいないやしき

[現在地名]新宿区市谷柳町いちがややなぎちよう

尾張藩上屋敷西門馬場から北上する通りを挟んで市谷柳町の東に位置する片側町で、南は旗本久貝氏の屋敷。町屋は南北間口が二三間(裏幅同断)、東西裏行は南で一〇間、北で二間。古くは市谷村百姓地であったが、のち明地となり、元禄一五年(一七〇二)仙院(将軍徳川綱吉養女)の近侍鈴木清内が拝借、拝借時から町並家作を許され、正徳三年(一七一三)に町奉行支配に転じた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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