市野倉村
いちのくらむら
[現在地名]大田区中央四―七丁目・池上一丁目・南馬込六丁目
堤方村の北東、台地の縁辺部に位置し、池上道が通る。同道を北東に進むと新井宿村。北条氏所領役帳によれば、江戸衆の太田新六郎は所領「六郷内 一之倉 蒲田分」役高一貫八〇〇文の地を寄子衆に分け与えていた。田園簿に市ノ倉村とみえ、田方一〇四石余・畑方五八石余、幕府領(以後幕末まで変化はない)。元禄一〇年(一六九七)の検地によると高一六二石余、反別は田九町五反余・畑一一町七反余(文政五年「丑御水帳面之写名寄帳」横溝家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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