コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

助郷 すけごう

6件 の用語解説(助郷の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

助郷
すけごう

江戸時代,幕府が諸街道の宿駅継立てを援助,補充させるため,宿場周辺の農村に課した夫役。交通需要の増大につれ,宿場常備の人馬 (御定人馬) では不足のため,この臨時の人馬徴発が行われ,助郷制度として恒常化した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

すけ‐ごう〔‐ガウ〕【助郷】

江戸時代、宿駅常備の人馬が不足する場合、その補充のために宿駅近隣の村々に課された夫役(ぶやく)。また、それを課された郷村。定助郷代助郷などがある。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

助郷【すけごう】

江戸時代,宿駅の常備人馬ではまかなえない大通行の際,補助的に人馬を提供する宿駅近郷の村をいい,助人馬の課役そのものあるいは助馬制度をさすこともある。当初,助郷役は臨時的なものであったが,交通量の増大とともにしだいに恒常化した。
→関連項目雲助地方凡例録伝馬騒動問屋場保土ヶ谷壬生通り役高

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

すけごう【助郷】

近世の宿駅が常備人馬(伝馬)で負担しきれぬ大通行のとき,補助的に人馬を提供する助人馬出役を定められた村をさすが,この助人馬をも助郷,あるいは助郷役という。幕府直轄の五街道のうち往来のさかんな東海道,美濃路では,恒常的な助馬助成を特定の村に依存する必要が早くから生じ,1637年(寛永14)には幕府や諸藩がそれぞれの領内宿駅に助馬村を定めている。その後寛文期(1661‐73)に中山道日光道中をも加え,助馬村の恒常的な制度化としての定(じよう)助(定助郷)を生み,さらにその後定助では不足のときに人馬を補う村を定め,これを大(だい)助と呼んだ。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

すけごう【助郷】

江戸時代、宿場常備の人馬が不足する場合、幕府・諸藩によって人馬の提供を命じられた付近の郷村。また、その夫役。初め臨時的なものであったが次第に恒常化し、農村疲弊の大きな原因となった。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

助郷
すけごう

江戸時代、街道宿駅の常備人馬だけでは継ぎ送りに支障をきたす場合、補助的に人馬を提供する宿駅近傍の郷村、またはその課役・制度をいう。このような助郷の概念規定のあいまいさは、その成立時期について諸説を生んでいる。まず、鎌倉幕府の執権北条氏の交通政策、豊臣(とよとみ)政権の宿駅の人馬超過に関する法令に、助郷の濫觴(らんしょう)または成立を認める説、さらに江戸幕府の1603年(慶長8)、1616年(元和2)、1637年(寛永14)、あるいはその後の交通政策に指標を求める説などがあるが、これらは事実上助郷の機能を果たすものと、幕府権力が指定した強制的賦役としての助郷とに対する理解の違いによるところが大きい。
 幕府は1694年(元禄7)新たに助郷制を画定したが、それは従来の助郷が封境・国郡を限界としたのを改めて、各宿駅近傍の村々を付属助郷に指定し、高100石につき2人・2疋(ひき)の人馬役負担とした。そして東海道宿駅では定(じょう)助郷・大(おお)助郷の二本立て、中山道(なかせんどう)・日光道中は大助郷のみ、奥州・甲州両道中では幕府指定の助郷はないが、臨時に宿駅近傍の人馬を徴発する態勢をとった。1725年(享保10)東海道では定助郷・大助郷を統一して定助郷に一本化し、中山道などでも大助郷を定助郷と改称した。ここに助郷制度は確立するが、元禄(げんろく)度の人馬負担基準はなんら歯止めとならず、江戸後期にはその数百倍に達した。定助郷は宿駅近傍の10~20数か村からなる基本的な助郷で、本助郷ともいうが、負担過重のため疲弊して他の郷村が代役を勤める代(だい)助郷以下、課徴範囲を拡大した加(か)助郷、増(まし)助郷、当分助郷など、各種名目の助郷が次々に設定されていった。
 こうした傾向は宿駅と各種助郷以下との人馬役負担・賃銭配分をめぐる紛争を激発させ、このため定助郷村などは助郷惣代(そうだい)を宿場内の助郷会所に派遣、宿役人らの不公正な取り計らいを監視させている。宿駅・助郷間の諸矛盾が、幕府権力や宿駅問屋、名主、豪農らに対する広範な農民大衆の抵抗として爆発したのが、1764~65年(明和1~2)の武蔵(むさし)、上野(こうずけ)、信濃(しなの)および下野(しもつけ)の一部にまたがり参加者20万人余に上る伝馬(てんま)大騒動である。その後、宿駅と助郷とは、複雑で多様な対立・抗争を繰り返し、幕末期には訴願・強訴を含めた助郷反対闘争を展開、世直し一揆(いっき)へと突き進んでいった。なお、脇(わき)街道の宿駅では、定助、加助、大助などの助郷が設けられたが、そうでないところでも全藩的または郡規模の人馬徴発が行われ、その役負担は過重化の一途をたどっている。助郷は1872年(明治5)の陸運会社の設置によって完全に廃止された。[丸山雍成]
『丸山雍成著『近世宿駅の基礎的研究』全2巻(1975・吉川弘文館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の助郷の言及

【伝馬騒動】より

…1764‐65年(明和1‐2)武蔵国を中心に起きた助郷(すけごう)役増徴反対の百姓一揆。64年8月,江戸幕府は中山道の伝馬助郷役不足の解決と,翌年にせまった日光東照宮百五十回忌の交通量増大に対処するため,増助郷(ましすけごう)課役の方針をうちだし,板橋宿から和田宿までの武蔵,上野,信濃28宿の村々に高100石につき人足6人,馬3疋の増助郷を命じ,人馬役負担の困難な村には代金として高100石につき金6両2分を提出させようとした。…

【問屋場】より

…問屋場へ詰めるのは問屋・年寄の宿役人と帳付・馬指(うまさし)・人足指などの実務に当たる者で,通常は交代で出勤するが,大通行のときには全員が詰める。問屋場で扱うのは公用またはそれに準ずる武家・公家あるいは書状・御用物等であるが,宿人馬で不足のときには助郷(すけごう)の人馬を寄せ集めておき,ときには数百頭数千人にも及ぶ人馬を差配するから,戦場のような騒ぎになった。公用旅行の武士などは権威に乗じて横暴を極め,問屋場詰の役人を苦しめた。…

※「助郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

助郷の関連キーワード宿場伝馬役鳥居本定助郷伝馬込み伝馬町引き日佐屋路伝馬所保土ヶ谷

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

助郷の関連情報