日本歴史地名大系 「布鎌太郎右衛門新田」の解説 布鎌太郎右衛門新田ふかまたろうえもんしんでん 千葉県:印旛郡栄町布鎌太郎右衛門新田[現在地名]栄町布太(ふだ)布鎌西(ふかまにし)新田の東に位置し、北を利根川が流れる。寛文六年(一六六六)開発の代官見立新田一五村のうち。当新田・布鎌利右衛門(ふかまりえもん)新田・布鎌源五左衛門(ふかまげんござえもん)新田・布鎌七右衛門(ふかましちえもん)新田は布川(ふかわ)村(現茨城県利根町)からの移住により開かれたため、布川新田とも称された。寛文一一年の国手形寺請状改帳(吉植家文書)には布川新田とあり、のち当新田となる分の入植戸数五六(出身地は上野館林領二九、下総古河領一七、同布川領・庄内領各二、武蔵羽生領四、同栗橋領・騎西領各一)。延宝元年(一六七三)の反別高入改帳写(栄町役場蔵)によれば上畑・中畑・下畑ともに一一町七反余、屋敷一町一反余、名請人数四〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by