帝国最高法院(読み)ていこくさいこうほういん(その他表記)Reichskammergericht

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「帝国最高法院」の意味・わかりやすい解説

帝国最高法院
ていこくさいこうほういん
Reichskammergericht

神聖ローマ帝国に設けられた最高裁判所マクシミリアン1世により 1495年に設置され,帝国が消滅した 1806年まで存続した。マクシミリアン1世が帝国諸制度の強化をはかった際,王室裁判所を改組して創設されたもので,ローマ法継受,特に司法面におけるローマ法の導入という点で決定的契機となった。皇帝任命の裁判官と 18人 (のちに 24人,1570年に 41人,18世紀には 25人) の判決人で構成され,判決人の半数はローマ法学者であった。初めフランクフルトに置かれ,1527~1689年にシュパイアーに,以降はウェッツラーに置かれた。 (→帝国改造運動 )

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世界大百科事典(旧版)内の帝国最高法院の言及

【神聖ローマ帝国】より

…したがって,このような帝国に,同時代の西ヨーロッパ諸国家のような方向への発展可能性はなく,その国制的諸機関,たとえば帝国議会Reichstag(身分制議会),帝国宮内法院Reichshofgericht,帝国統治院Reichsregimentなどはほとんど実質的意味をもたなかった。ただ,帝国最高法院Reichskammergerichtだけは事実上,等族の手に握られた最高裁判所として帝国の解体にいたるまで活動をつづけ,帝国全体の伝統的身分制的諸権利を維持するのに役だった(身分制国家)。1648年のウェストファリア条約は帝国等族の主権的領邦支配権を承認し,対外的同盟権をも認めることにより,それをほとんど自主独立たらしめた。…

【帝国改革】より

…しかしこの議会において永久ラント平和令が制定され,私闘権(フェーデ)を完全に廃棄し,民間人だけでなく帝国等族にもいっさいの自力救済を禁止し,裁判手続のみを認めたことは法共同体としての国家にとっては大きな意味をもっていた。こうした施策を実施するために,帝国最高法院Reichskammergerichtを宮廷から切り離してフランクフルト・アム・マインで常時開催することになった。また帝国最高法院の費用をまかなうために一般帝国税Gemeiner Pfennigの徴収が議論されたがその徴収には多くの抵抗があった。…

※「帝国最高法院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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