日本歴史地名大系 「常見村」の解説 常見村つねみむら 栃木県:足利市常見村[現在地名]足利市常見町渡良瀬川北岸の低台地に位置し、北は山川(やまがわ)村。高階系図(清源寺蔵)によると、鎌倉初期頃、高惟光の子章行は恒見小次郎と号しており、当地の開発領主とも考えられる。文和元年(一三五二)一月二〇日には足利尊氏が恒見郷を樺崎(かばさき)寺に寄進している(鶴岡社務記録)。「足利長尾顕長家来」に当村の者として大窪甚五郎(永五〇貫文)の名がみえる。寛永一〇年(一六三三)には幕府領と旗本真田領の二給、のち上野館林藩と旗本真田領の二給となる。天和二年(一六八二)館林藩領分が旗本大岡領となる(分郷配当帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報