「やまがわ」は別語。
「やまかわ」は別語。
徳島県中北部、麻植郡(おえぐん)にあった旧町名(山川町(ちょう))。現在は吉野川市(よしのがわし)の北西部を占める一地区。1955年(昭和30)川田、山瀬(やませ)の2町と三山(みやま)村の一部が合併して成立。2004年(平成16)鴨島(かもじま)町、川島(かわしま)町、美郷(みさと)村と合併、市制施行して吉野川市となる。旧町域は、吉野川中流南岸に位置し、同川沿岸をJR徳島線、国道192号が走り、国道193号が通じる。中心の川田は室町時代に守護の細川氏が井上城を築いた地。江戸時代には川田八幡神社の大市でにぎわい、また川田川の水と流域のコウゾ、ミツマタなどの材料を利用した和紙生産が盛んであった。和紙造りは県の無形文化財。山瀬地区の忌部(いんべ)神社は阿波(あわ)開拓の祖忌部を祀(まつ)る。「おこうっつぁん」とよばれる高越山(こうつざん)は信仰の山で、山頂に高越神社、頂上近くに高越寺(「絹本著色仏涅槃(ぶつねはん)図」は国指定重要文化財)がある。また、東麓にはふいご温泉がある。川田八幡神社の神代御宝(かみよおたから)踊りは豊年、雨乞(あまご)いを祈願するもので県指定無形民俗文化財。船窪(ふなくぼ)のオンツツジ群落は国指定天然記念物。
[高木秀樹]
『『山川町史』(1959・山川町)』
鹿児島県揖宿郡(いぶすきぐん)、薩摩半島(さつまはんとう)の南東にあった旧町名(山川町(ちょう))。現在は指宿(いぶすき)市の南東部を占める。旧山川町は1930年(昭和5)町制施行。2006年(平成18)指宿市に合併。旧町域は火山地形が発達し、山川港は山川火山の旧噴火口の北東部が決壊し、海水が流入してできた天然の良港。鰻池(うなぎいけ)は火口湖、鷲尾岳(わしおだけ)はトロイデ型火山である。JR指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線が通じ、大隅(おおすみ)半島の根占(ねじめ)とをカーフェリーが結んでいる。歴史が古く、成川(なりかわ)遺跡は弥生(やよい)中期から古墳時代中期の埋葬遺跡で、土器、鉄器、人骨を多数出土。中世、倭寇(わこう)の根拠地。近世、鹿児島の外港として南方貿易の基地となり、急速に発展した。カツオの水揚げが多く、かつお節の製造が盛ん。水産業のほか、ダイコン、ニンジンなどの野菜、花卉(かき)、タバコ、スイカなどの栽培や畜産が盛んであり、農業生産性は高い。霧島錦江湾(きりしまきんこうわん)国立公園に属し、特別天然記念物にソテツ自生地があり、長崎鼻や鰻池などの観光地も多い。
[平岡昭利]
『『山川町郷土史』(1958・山川町)』
福岡県南西部、山門郡(やまとぐん)にあった旧町名(山川町(まち))。現在はみやま市の東部を占める。旧山川町は1969年(昭和44)町制施行。2007年(平成19)、瀬高(せたか)町、三池(みいけ)郡高田(たかた)町と合併、市制施行してみやま市となった。旧山川町域の東部は古生層からなる筑肥(ちくひ)山地で、西部に沖積地が広がり、国道443号が通じる。国道に併走して九州自動車道が通過、山川パーキングエリアには高速バスが停まり、福岡市と1時間で結ぶ。主産業は農業で、ミカンと米のほか、タケノコ、ブドウなどを産し、とくにミカンは山麓(さんろく)地帯を中心に県内有数の産地である。中心集落の原町(はらまち)は宿場町、野町(のまち)は市場町で、柳河藩(やながわはん)牧場のあった御牧山(おまきやま)は景勝地。
[石黒正紀]
干菓子の白雪糕(はくせっこう)の一種で、島根県松江市の名菓。1806年(文化3)隠居して不昧(ふまい)と号した松平治郷(はるさと)(松江藩主)が、江戸・品川の菓子司伊勢屋越後大掾(いせやえちごだいじょう)につくらせた軟落雁(らくがん)で、「散るは浮き散らぬは沈むもみじ葉の 影は高尾の山川の水」(不昧)が、紅白紅三段の押し物に表現されており、菓子暦(ごよみ)では11月の菓子とされる。この山川は伊勢屋で修業した面高屋道順(おもだかやどうじゅん)により松江にもたらされたが、明治維新でとだえ、1887年(明治20)に風流堂初代の内藤竹次郎により復活した。いまは紅白二段の姿になっている。
[沢 史生]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...